他称アイドル作家の溜息

 『青空の魔法』(きりか進ノ介さん・作)。『虹色のトレイル』と題された連作群の第二作である。高校生の少年・宇宙(そら)君が部活動中のハプニングにより少女の美空さんに非可逆変身し、そら君のガールフレンド・美月さんやそら君の母親・治子さんの精神的サポートにより少女としての高校生活を始める、というストーリー。舞台として長崎県の大村湾岸という実在の風光明媚な土地を選んだことにより、『虹色』『青空』という題中の語句に似つかわしい豊かな彩りが作品世界に無理なく加わっている。句読点の多い文体は短い呼吸と儚さを連想させ、延いては美月さんや治子さんら美空さんを見守る者たちの優しい視線を象徴しているかのようである。あたしも、自分の表現を多様化するために、参考にしたいと感じた。
 このストーリーの後半において注目すべきは、美空さんのTSが単なる変身TSではなかったことである。変身TSならば、元のそら君の人格がそのまま美空さんの人格になるのが原則だ。仮に美空さんの肉体の中でそら君の人格が変質していったとしても、両者の間の一貫した連続性が明示的または暗黙的に作中に描かれるはず。けれどもそうではなく、美空さんの人格はそら君が女体化直後にゲーム中のキャラクターに投影した、いわばそら君の分身なのであった。“空”は“宇宙”の一部分でしかない。たとえ読みがなは同じ“そら”であっても。
 あたしには他人事ではなかった。あたしはあいつではなく自分の人格こそ本物の伸一郎だと思っていたけれど、最近はだんだんとその自信がなくなってきていた。ろろみとしてのあたしの人格と、伸一郎をやっているときのあたしの人格。分身や再合体のたびに言葉遣いなどは意識して切り替えているけれど、一貫しているあたしの人格はあるものだと思っていた。しかし、そうした切り替えとは、世間の考える“アイドル作家・微風ろろみ”にあたしが投影した人格への切り替えではないのか。むしろ、自分がろろみをやっているときの伸一郎にこそ、元の伸一郎との人格の一貫性があるのかもしれない。あたしは『青空の魔法』を読んで、そんな感慨に駆られたのだ。
 『青空の魔法』のストーリーの最後、美空さんは元のそら君にいつでも戻れるけれども戻らない状態となった。これにより、美空さんとあたしとの置かれた状況がますます似てきたと感じた。あたしだって、その気になれば再合体をせずに一生ろろみで通すこともできなくはないのだから。
 ただ、大きく違うのは、美月さんは美空さんの傍らにいるけれど、久美子はろろみではなく伸一郎の傍らにいること。そしてもうひとつ、美空さんの隣にそら君はいないけど、あたしの隣にはあいつがいることだ。
 あたしはこれまで、変身や平行世界移動を通じて自分が何者なのかわからなくなっていく曖昧な感覚を文に描いてきた。『青空の魔法』を良きライバルとして、あたしはあたしの作品を書き続けていこうと考えている。

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「ちょっとぉ、ろろみ何この書評。明日まで時間あげるから書き直してちょうだい。あたしの精神が本物の伸一郎とか、分身と再合体とかって、何ふざけたこと書いてるんだか。こんなの載せられないよ」
「しまった! ごめんなさい、正世さん」
「あんたらしくないねえ、いったいどうしたの。まさか授賞式のときのショックがまだ尾を引いてるとか?」
「だ、大丈夫ですよ」
「そう。でも……ろろみちゃんって、小出くんに気があったり」
「わあわあ正世さん黙ってて! もういいです、書き直してきますから」
「いえ、ちょっと待って。……雑誌本体じゃなくて広報誌のほうの書評だから……いいよ、このまま載せましょう。まあ読者さんも本気にはとらないでしょ、これもろろみちゃんの文才あふれる創作だって済まされるんじゃないかな。いざとなったらわたしもフォローするからさ」
「……正世さんって、やっぱり得体の知れない編集長だ」

※:「授賞式のときのショック」については、微妙存在ろろみ 第6話『すべてが微妙になる』(後編)をご参照ください。


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Last-modified: 2006-11-07 (火) 00:34:15 (6397d)