このストーリーは、一部フィクションです。
一人の少女が、駅からバス停に向かう。横断歩道の信号を待っていると、目の前でバスは発車していった。
彼女の人生は、いつもこうだった。望みもしない方向に、常に向かっていく。
次のバスは、30分後。とりたてて寄るところはない。そのまま、バス停で待つ。
程なく彼女の後に、長い行列ができる。列をなす人の9割の目的地はどこか、彼女には想像がついた。そして思った。
所詮、動物が動物を見せ物にしているだけの場所だというのに、なぜこれほどまでに人は集まるのだろうと。
「楽しみ」
「私もですよ」
後ろから楽しげな声が聞こえる。何が楽しいのだろう。
少しだけ、振り向いてみる。そして彼女の視線は、一人の少女に向いたまま、動かなくなった。
ホーリーメイデンズ 外伝
「復活の依代」
原作:流離太
作:ほたる
Special Thanks:こうけい、華村天稀、バレット
源終里(みなもと・おわり)。花田中学校の1年生。
過去に複雑な事情を抱えていた彼女であるが、友人と呼べる存在に出会ったことで、望みもしない方向に向かっていた人生の路程を、修正しつつあった。
そんな彼女は、このバス路線の沿線に住んでいる。歩いて行けない距離ではないのだが、歩いて行くには少しだけ遠い。
まだ時間が余っているので、腰掛けてバスを待っていると……いつの間にか眠ってしまった。
「バス、来ましたよ」
声をかけられた終里は、慌てて立ち上がった。すると、ちょうど目の前に、あの少女の顔があった。
「…………すいません」
そのまま、バスへと乗る。しかし終里の視線は、後ろに座った少女から外れることはなかった。
自分とはまるで違うこの少女から感じる、既視感。何が私をそうさせるのか、と思い悩んでいると。
『次は、動物園前です』
終里の家の最寄りとなるバス停はとうに過ぎ、多くの人が降りる動物園へと到着した。
普段なら、こんなことはないのに。自身の行動を不思議がる終里であった。
「あの…………」
最後にバスを降りた終里に、先ほどの少女が声をかける。
「…………なに?」
「どうして…………あたしの方を見てたんですか?」
気づかれていた。気まずい雰囲気になる。
「春美さん、どうしたんですか?」
横で少年がその少女……春美に声をかける。
「あたしの方をずっと見てたの。 なんでかなって思って」
終里はその名を聞いて、感じていた既視感の正体に、やっと気づいた。
「…………『琴☆HiME』の、北村春美(きたむら・はるみ)さんですか…………?」
「はい」
終里の質問に、春美は悪びれることなく答えた。
ここから遠く離れた姫琴市の、ご当地アイドル。春美のもう一つの姿である。そして、終里は春美をアイドルとしてとともに……別の側面で知っていた。
性同一性障害(GID)。終里の抱える……いや抱えていた障がいである。そしてそれは同時に、春美の抱える障がいでもあった。
終里の場合、一年ほど前に出会った『アヤカシ』……こっくりさんとの契約によって、本物の女性となれた。
そしてその当事者とは、数ヶ月後に訣別している。その経緯については、本編を参照して欲しい。
「……どうせ暇だから、案内してあげるわ。 出会えたお礼に」
終里は春美たちを、動物園に案内することとした。中学生である彼女は入園が無料だったというのも、理由の一つだが。
「その前に、自己紹介した方がいいかも。 あたしはともかく」
有坂リサ(ありさか・りさ)。水明華高校の2年生。
各務博幸(かがみ・ひろゆき)。十万石高校の1年生。
印梯(インディー)。所印大学未来科学技術部の教授。
「よろしくお願いします」
「……こちらこそ」
終里は少しだけ驚いていた。同じ境遇を抱える春美の、交友関係の広さに。
この国の中でも屈指の入園者数を誇るこの動物園は、動物の姿形を見せることに主眼を置く一般の動物園とは異なり、動物の行動を見せることに主眼を置いている。その目的を達するために必要な部分は手を加えているが、それ以上無用に手を加えることはない。
「どこから、行く?」
「目についたところから」
『ぺんぎん館』と書かれた建物が、目に入ってきた。一般にペンギンは水族館にいるものなのだが、この動物園はそのものが水族館も兼ねている。
通路自体が、水槽の中をトンネル状に貫通している。周囲で泳ぎ回る姿を、間近で見ることができる。泳ぎが早いので、撮影するとなると少々難儀だが。
「それぐらいどうってことない」
カメラ屋の看板娘である春美。撮影技術は人並み以上であるため、泳ぎ回るペンギンの写真を、場の雰囲気そのままに収めることができた。
「寒そう……」
まだ春の遠いこの地。互いの体温で暖まろうとするためか、ペンギンも固まって行動している。その中に……
「一匹だけずるい……」
屋外にいた一匹だけは、毛皮のコート(!?)をまとっていた。
やはり水族館にいるアザラシも、ここでは動物園の中にいる。ペンギンと同様、間近で見ることができる。
床から天井へと突き抜ける水路。そこを通り抜けるたびに、歓声が上がる。
――可愛い、わね。
口にこそ出さなかったが、終里もそういう感情は持っていた。
「ん? 『可愛い』とか思ってた?」
横から春美が顔を覗かせる。非常に楽しげに見えた。
同じ境遇だというのに、どこからこの差は出るのか。終里の悩みは深まっていった。
春美と博幸、そしてインディーは、暖かい地方の出身らしい。故にホッキョクグマを生で見るのは初めてである。
「やっぱ間近で見ると迫力ありますね」
ガラス越しなので、まあ安全ではある。たまに泳ぐこともあるのだが、今回は見られずじまいであった。
「そこのドームに入ると、擬似的に襲われる体験ができるそうよ」
待ち時間がかなり長くなりそうだったので、今回はパスすることにした。まだ見たい箇所は多い。
「キタキツネさんが出てこないので、隣のシロフクロウさんがカメラ目線でがんばってくれてます」
飼育員のコメントが微笑ましい。確認してみると、確かにカメラ目線であった。
「ひゃっ!」
リサが雪に足を取られ、転んでしまう。
「いたたた…………」
「『ツル』の前だからですか…………」
インディーのコメントは、この地の気温よりも寒かった(……)
「喪中!?」
闘争により死亡したオオカミ。行動を見せることに主眼を置くこの動物園においては、このような事例が発生する可能性が皆無ではない。終里の解説によると、過去にも何度か発生しているという。
「お知らせが手作りというところに、愛情を感じます……」
後にも『赴任のご挨拶』や『赤ちゃんが生まれました』という、同種のお知らせが張られた箇所を目撃することとなる。
「疑似体験できるところはどこも列ができてるね……」
「行ったところで、確実に体験できるかどうかは保証がない」
確実なら並んででも、体験していたかもしれない。
「インディーさんがゴリラの右耳からコーヒーを」
博幸のコメントに、春美とリサは吹き出した。
目の前にあるゴリラ。左右が自動販売機になっている。一瞬、鼻がゴミ箱になっているのかと思った春美であったが、残念なことに横にあった手がゴミ箱であった。
「いくらなんでも汚いでしょう」
寒いこの場に、コーヒーの温かさでほっとした。
「くすくす……洒落のつもり?」
目の前にある、キリン型の望遠鏡。高い位置から、動物園を360度見渡すことができる。
その横に、屋根だけが作られている。屋根には「KIRIN」と書かれていた。スポンサーである。
「ここに自動販売機でも置くんでしょうか」
「これで置かれてるのがCocaColaとかだったらかなり嫌」
春美は”本物”のキリンが餌を食べる姿を目撃しようと、少しの時間粘ることとしたが、見ている間は雪しか食べなかった。
そこから四人に合流しようと、小走りに走っていった……そのとき。
――この、風景…………
春美もまた、”既視感”にとらわれていた。
冬季の動物園の開園時間は、非常に短い。朝が少し遅れたので、閉園時間を気しながら動かなければならない状況となっていた。
キリンのいたその先は、子供向けのスペースであったため、五人はその方向とは別……入口の方向に向けて歩いていった。
「ちょっと、寄り道」
土産を買いに入る春美。ここでしか買えない物もあるだろう。
駅まで帰るバスは、本数が限られている。そのため五人は、入口近くのショップで一度別れた後、バスの時間に合わせてまた集まることにした。集合場所は、隣の休憩所。
土産を買い終えた春美は、一人で動物園の奥へと入っていった。
昨晩の夢に出てきた風景と、先ほどの既視感。それを線で結びつけるために。。
――来たこと、ないのに…………
この動物園どころか、この街に来たことさえ、春美には初めてである。だとすれば、あの夢は何だったのだろうか。何を見せたかったのだろうか。
短い時間で、できるだけ探そう。そう思っての行動であったが…………
「…………いらっしゃい」
聞き覚えのない声が、春美の背後から聞こえた。そして…………
「あれ? 春美さんは?」
集合時間として設定していた、午後三時。その時間になっても、春美は現れなかった。時間にそうルーズな人じゃないのに、と怪しむリサ。
「誰か、番号知ってる?」
春美のケータイの番号を知っている博幸が、電話をかける。しかし電話口からは、圏外か電源を切っているか、そういうアナウンスが流れるばかりであった。
事件に、巻き込まれたのかもしれない。四人は手分けして、探すことにした。
「職員さんにも話をした方が良さそうですね」
インディーの提案で、職員にも探してもらうことにした。
三十分後。
「見あたりませんでしたか?」
「あぁ……一応探してもらってるんだが、園内が相当広いから……」
職員に聞く博幸。すでに閉園時間は過ぎている。
「我々で探すから、外へ出ておいてもらえますか?」
ある意味、当たり前の対応である。しかし。
「…………できません」
終里はそれを、断った。
「北村さんは、私の大切な友達ですから」
出会ったのは、今朝。しかしそこからの短い時間で、終里と春美は互いに打ち解け合っていた。ちょうど、春美が一緒に来ていた三人と、そうしているように。
「もう少しだけ、探させてください。 暗くなったら後はお任せします」
「…………わかりました」
連絡先にリサと終里の電話番号を伝え、四人は再び散った。
動物園の入り口付近。終里はそこに、影を見た。
出ようとすると、上から何かがふわりと降りてきた。目の前に立ちはだかるその姿に、終里は凍り付いた。
「北村さん…………まさか」
漆黒の着物。京紫の袴。黒いストッキングと、紫のブーツ。右手には、藍色のステッキ。
その姿に、終里は見覚えがあった。否、見覚えがありすぎた。
「…………ダークメイデン」
その名は、かつて自らが名乗った名。二度とは現れないであろうはずの存在。
それが、現実に目の前にいる。しかも、春美という存在で。
「誰よ! 誰が北村さんを、こんなことに!」
その声が聞こえたのか、リサ、博幸、インディーが集まってくる。
「何かのコスプレ?」
「そんなお気楽なものじゃない。 下手すると殺される」
終里の言葉が、三人に突き刺さる。
「下がって」
終里は懐から、琥珀色のステッキ…………オーヌサステッキを取り出し、構えた。
終里には、確信があった。それは、春美の瞳にあった。
アヤカシに心をとらわれた人間の瞳は、紅く染まる。かつての春花がそうであったし、おそらくは自分もそうだったであろう。
しかし春美の瞳は、初めて彼女と出会ったときと同じ、濃茶。つまり…………
――まだ、完全ではないということ。
「……できません」
終里が現状を把握していると、博幸が横に立った。
「下がってと言った」
「終里さんと同じで、僕も友達は見捨てられません」
博幸の姿が、光に包まれる。
過剰なまでにフリルとリボンがあしらわれた、ワンピース。それに身を包んだ博幸……いや千陽(ちひろ)の表情は、固かった。
多少の戦力にはなる。終里はそう思い、ステッキを握る右の腕に、力を込めた。
「古(いにしえ)は天地未だ剖れず、陰陽(めを)分れざりし時、渾沌(まろが)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、ほのかにして牙(きざし)を含めり。……時に、天地の中に一物生(ひとつのものな)れり。伏葦牙(かたちあしかひ)の如し。すなわち神となる。国常立尊と号(もう)す」
フレーズを唱えると共に、終里の服が変わっていく。
純白の着物に、漆黒の袴。
5人目のホーリーメイデンズ、夜の使者『ホーリーガイア』。終里のもう一つの姿である。
――糸口は…………どこ?
背後で操るアヤカシを倒す。春美を解放する最適解はそれだ。早速アヤカシの気配を探るが、特に感じられない。アヤカシの気配を察知し、自動追尾する装備……『オラクル・ゴーグル』にも、反応はない。
かつての終里……ダークメイデンは、その正体がわからなかったからこそ、碓氷冬雪(うすい・ふゆき)たちホーリーメイデンズから攻撃を受けた。その証拠に正体がわかって以降は、終里は冬雪たちから直接の攻撃を受けることはなかった。
しかし、今回はそうではない。正体がわかる形で仕向けているということは、何らかの裏がある。それは終里にも、想像がついた。
「くうっ!」
春美の振りかざした鎌を、同じ鎌で受け止める。腕がしびれる。
力では春美の方が上。一太刀交えたところで、終里はそれを感じた。
「『ふらくたるセイバー』っ!」
均衡状態の横から、千陽が斬りかかる。魔法の刃は二人の間の空間を切り裂き、互いの着物の布がわずかに切り落とされる。
一歩引いた春美に向け、千陽は手元のステッキを向ける。
「『ふらくたるビーム』っ!」
放たれる光。春美は刃の部分で受け止め、まき散らす。周囲が爆発する。
「そ、そんなことしたら!」
「それは心配しない! ここはアヤカシの作り出した世界だから!」
被害が及ぶことを心配する千陽に、終里は現状を説明する。確かに見た目は動物園とそっくりなのだが、動物の存在はない。
「…………………………」
その状況を、固唾をのんで見守るしかなかったリサ。手の出せない状況だ。
一方のインディーはといえば、ただひたすらに、辺りを見渡していた。そして…………見つけた。
「こっち!」
インディーは元々、犬である。その特性から、春美の切り裂かれた着物に付着していた匂いをラーニングし、その発信源を探っていたのだ。
リサの手を引き、インディーは走り出した。
「きゃうっ!」
隣にいた千陽が、鎌の柄で吹き飛ばされる。はっとした時には、もう遅かった。
重い一撃が、終里のガードを突き破り、同じところへと飛ばす。
「うぐっ!」
二対一。数では有利なはずの終里と千陽が、明らかに劣勢となっていた。
これで完全でないのなら、完全になったら手に負えなくなる。事を急ぐことを終里が決めた、そのとき。
「うわぁぁぁっ!」
聞き覚えのない声が、その場に響いた。
「源さん、そっち行きました!」
インディーの声にはっとした終里。春美の後ろに、球体が落ちてくる。
…………いや、それは『球体』ではなかった。
黒いマントに身を包んだ、丸っこい何か。手足は存在するようだ。
「何者!」
「名無しさん、と名乗っておきます」
そう名乗ってはいるが、やはりアヤカシ。終里はそう確信した。その証拠に、ゴーグルにも反応がある。
いぶりだしてくれたインディーさんには、感謝しないと。そうも思っていた。
「『地絶刃』!」
振り下ろされる鎌。先端が地に着くと共に、衝撃波が地を駆ける。
二人とも避けるだろう。終里はそう予測し、千陽に二の矢を放つよう指示を行おうとしたが…………
その場を、爆発が包んだ。
煙の晴れた後には、アヤカシの腕で首を絡め取られ、着物がボロボロになっている、春美の姿が。
「春美さんっ!」
千陽の悲痛な叫びが響く。自らの手で春美を傷つけてしまった終里は、言葉を発することさえもできなかった。
「この程度の煽りにのるなんて、テラワロスでございます」
首に腕を絡めたまま、アヤカシは続ける。
「さぁ、あなたたち逝ってもよろしいですか? 答えは”Yes”か”はい”でお願いします」
終里がかつて、ホーリーメイデンズをいぶり出すために、坂田夏月(さかた・なつき)を使って行った手口と同様である。もっともその時は、夏月が”あえて”はまったというのだが。
しかし終里には、自分が夏月を人質に取ったときより、はるかに深刻な事態に思えた。アヤカシはあのときの自分と違い、春美の命など何とも思っていないように見えたからだ。
攻撃すれば、春美を盾にされる。
攻撃しなければ、こちらがやられる。
打開策は…………春美を犠牲にするほか、なかった。その無情さに、腹立たしくなる。
「……ねえ、キモヲタさん」
今の姿で出会って以来、一言も口をきかなかった春美の口から、初めて言葉が漏れる。
「はぁ!? 今なんて言った?」
”キモヲタ”という言葉がよほど癪に障ったのか、逆上するアヤカシ。口調が崩れる。
「よかった? ヒッキー脱出できて。 次はニート脱出?」
「藻前から逝くか? オカマが」
「くっ!」
首にかけられた腕に、力がこもる。苦しむ春美。
「どうも、闇に墜ちきっていないようですね。 もう少し調教しないと」
背中に突き立てられる、もう一方の手。春美の顔が、だらりと垂れる。
「春美さん!!」
――北村さんがいなくなってしまうかもしれない…………でも、あいつの操り人形にされるよりはましよ!
鎌を手に飛びかかる終里。自分と同じ目に遭わせたくない、その気持ちが先行した。
予想通り、春美を盾にされる。しかし。
「うあぁぁっ!」
目の前で、固い物に邪魔されるような感触。攻撃がはじき返され、吹き飛ぶ。
「『ふらくたるバリア』!」
千陽が張ったバリアが、岩にぶつかりそうになった終里を救う。
「な……何が起きたの?」
起き上がりつつ、目の前の状況に驚く。
アヤカシは、異様な気配を感じていた。それは、自分が身も心もとらえようとしている相手……春美からの物であった。
春美のような存在に向けられる、偏見、軽蔑、そして嫌悪。その全てをつぎ込んでいるにもかかわらず、春美の心が闇に呑まれる気配はない。むしろ…………
「あんたには、負けない…………」
顔を垂れたままの春美。その口から漏れる、異様な凄みを持った言葉。アヤカシの腕に、さらなる力がこもるが……そこからは逆の圧迫感が伝わってくる。
「あたしは…………都合のいいように生きてるあんたなんかには…………絶対に負けないんだから!!」
二人を、爆発が包む。
「バリアが解けた!」
気配でそれを感じ取った千陽。終里と共に、煙の中を駆け抜ける。
しかしその中にいたのは、春美一人だけ。姿は元に戻っているが、身体のあちこちから血がにじんでいる。濃色の着物では気づかなかったが、現実は予想よりもさらに凄惨であった。
終里と千陽の心中で、思いが煮えくりかえる。絶対に倒す、と。
「どこ!?」
逃げたアヤカシを追う。ゴーグルが追尾した、その先は…………
「しまった!」
アヤカシにとって、春美はもはや”使い捨てられた存在”であった。自分の思い通りにならない存在など、配下に置く必要はない。
春美に与えていた闇を全て回収し、次のターゲットを探す。それは…………リサであった。
「さぁ、一緒に逝きましょう」
嫌らしさ1000%の声色。とっさに…………
「ぐぎゃぁぁぁっ!!」
リサは懐から出したそれを、目の前の存在に押しつけていた。
「どういうこと!?」
「電撃を食らった!? 各務さん、心当たりは!?」
リサがそんな特技を持っているなど、知らない。何が起きたのか、把握を急ぐ。
「く…………まだだ、たかがメインカメラをやられただけだ!」
ふらつきながらも、その場を立ち去ろうとするアヤカシ。だがその前に…………
「どうもあなた、電気に弱いようですね」
インディーが立ちふさがる。
「ちょうどここ、雪も残ってますし」
立ち直ったリサとともに、そこにあったバケツに一杯に詰め込んだ雪を、両側からアヤカシに浴びせる。全身からスパークが発し、煙が立ち上る。同時にマントが取れ、その姿が露わになる。
「……機械?」
「『サイバーゴースト』…………」
正体を確信した終里は、その名をつぶやいた。
電脳世界に渦巻く煽りや叩きといった感情などが集まり、具現化した存在。それが彼……『サイバーゴースト』であった。
サイバーゴーストは飛び跳ねるように、逃げ始める。劣勢を感じたのだろう。
「有坂さん、インディーさん、北村さんをお願いします!」
「はいっ!」
気絶したままの春美を二人に任せ、終里は千陽と共にサイバーゴーストを追った。
「とどめを刺せるのは私だけ! 各務さん、フォローお願いします!」
「わかりました!」
動物園の奥へと逃げ込もうとする。そのまま山へ隠れるつもりなのだろうか。二人との距離が、次第に離れていく。
「このままじゃ追えない!」
「『ふらくたるレビテーション』!」
千陽の魔法は二人を空へと誘い、その距離を一気に詰める。
「消防のくせになまいきな!」
「ぼくは小学生じゃありません! 『ふらくたるスパーク・カーテン』!!」
ステッキから放たれた無数の雷が、サイバーゴーストの行く手を阻む。
「うぉうっ!」
電脳世界につながるための機器は、電気に弱い。水分を含むとさらに弱い。
弱点が判明し、水分を含ませたことで、形勢は完全に逆転していた。
千陽は自分の立ち位置、そして自分が何をすべきかを、把握していた。
自分の力で、とどめは刺せない。それなら、終里がきっちりそれを刺せるよう、もっとも効果的な方法で足止めを行うべきだ。『ふらくたるスパーク』を連発する千陽の行動は、その理にかなっていた。
千陽の思い通りに、終里のゴーグルは逃げ惑うサイバーゴーストの動きを完全に追尾し、隙をうかがっていた。
右手に忍ばせたスタンガン……リサが食らわせ、託したそれ……を、鎌に押しつける。黄金色に、それは輝く。
「ここまできたら、逃げ切ってやる…………っ!!」
「もう、遅いっ!」
鎌を大上段に構えた終里の姿が、サイバーゴーストの目に入る。
「北村さんの痛み、百倍にして返してあげるわ! 『地絶雷刃』!!」
それは狙い違わず、サイバーゴーストの身体を一刀両断し…………そこに一本の太い雷柱が突き立つ。
――くす……ちょっと卜部先輩っぽかったかも。
その姿は、同じメイデンズの一人である、雷の巫女を思い出させた。
「北村さん!」
変身を解き、駈け寄る終里。しかし春美は、ぐったりとしたまま微動だにしない。終里の攻撃で傷を負ったせいでもあろうし、自分を包もうとする闇と心の中で戦っていたせいでもあろう。
「息はあります」
「このままじゃ…………どこかに連れて行かないと」
3月。まだ外は寒い。五人の体温も奪われる。
終里はケータイを取り出し、電話をかけた。
「もしもし…………今、空いてますか? 連れて行きたい人が…………」
「ボロボロじゃない!? 終里ちゃん、この子何に巻き込まれたんです!?」
「……ダークメイデンに、されかかった……」
「え!? 終里ちゃん、この子は私が治すから、みんなを呼んで!」
春美の姿を見た少女……渡辺春花(わたなべ・はるか)は、すぐさま指示を出すと共に、姿を変えて春美を治癒した。
彼女もまたホーリーメイデンズの一人、風の巫女『ホーリーブロウ』である。
「ふぅ…………やっかいなことになってきたのかも、しれませんね」
身体の傷は癒えたものの、気は失ったままだった。そのまま寝かせておいた方がいい……と春花は言い、ソファーをベッドに組み替えて春美を寝かせた。
広い屋内で、自分が頼ってもよい人のいる場所。終里がまず思いついたのは、ここ……春花の家である。
一昔前だったら、来てと言われることも、ましてや自分が行きたいと言うことも、なかった場所だろう。
それを言えるようになったのは、終里に起きた……いや終里が自分の意志で起こした、自分の”変化”が理由だろう。
「お茶、入れてますね」
春美についてきた三人……千陽、リサ、インディーと挨拶をした後、キッチンへ向かおうとしたところで、玄関のベルが鳴る。春花が扉を開けると、見慣れた三人の顔があった。
「そうか……この子が狙われたのか」
いささか似つかわしくない口調で、長身の少女が春美の顔をのぞき込み、呟く。
「ってことは、アヤカシはまだ残ってるってこと?」
眼鏡姿の少女が、不安げに聞く。
「たぶんね……でも大丈夫よね。 冬雪も秋綺ちゃんも」
二人の間にいた少女……夏月の指摘に、両隣にいた少女……冬雪と卜部秋綺(うらべ・あき)は、少しだけ頬を紅くした。
キッチンで、終里と春花が並ぶ。弱点さえ見つかれば弱かったと、戦況を報告する。
「その割には……北村さんがひどい目に……」
「あいつが北村さんを盾にしたせいで、まともに食らって…………」
終里の言葉には、申し訳なさがあふれていた。春花の力で傷は癒えているとはいえ、自らが春美を傷つけてしまったという事実、そして実際はどうあれ、アヤカシを倒すためなら春美が犠牲になっても構わない……と一度は決心したということは、覆しようがない。
「起きたら、謝っておいた方が良さそうですね」
「…………はい」
「起きてたんだ…………」
二人が人数分の紅茶を乗せてリビングへ戻ると、春美が身を起こしていた。
「北村さん…………二人で話がしたいんですけど」
終里の誘いに、春美はこくりと頷いた。
ベランダに、二人で出る。後ろをつけてきた冬雪に、終里はこう声をかけた。
「碓氷先輩……北村さんと、二人にさせてください」
冬雪はそれ以上、追う気にはなれなかった。これからの話は、二人きりだから話せる話なのだろうと。
春花の家のベランダには、二人用のテーブルセットが置かれている。
それぞれに腰掛け、紅茶で一服した後、終里は自分から切り出した。
「ごめんなさい…………」
状況は、言い訳に過ぎない。まずは謝ることから始まった。
「…………仕方なかったんでしょう?」
しかし、春美の返事は、終里にとって予想外だった。
「でも…………私は自分の手で、北村さんを……!」
「それを言ったら、あたしも自分の手で、源さんを……ね。 あたしからも、ごめんなさいと謝りたい」
春美にとっては、不可抗力だろう。それにもかかわらず、春美は自分に謝っている。終里はなおさら、申し訳ない気持ちになった。
「北村さんが謝る必要はない。 あれは…………!」
続きを言おうとした終里。その掌を、春美はそっと握った。
柔らかくて、優しい手。この人、まだ男子のはずなのに……と、終里は戸惑った。
「人は、間違える生き物。 間違いを繰り返しながら、一つ一つ成長していけばいいと思うの」
この人になら、話しておける。話しておいた方が、よいかもしれない。
終里は自分の過去を、春美に話すことにした。
「私も昔…………北村さんと同じ、GIDだったの」
「源さんも? ……でも、普通の女の子に見えるんだけど」
「私の場合、アヤカシと手を結ぶことで、本物の女子になれた。 今となっては、それが正しいことだったのかどうか、それもわからなくなってきたけど」
「……源さんはそれを上手く利用したと思うから、それで正しいんじゃないの?」
自分のしてきたことが肯定される。終里にはまだ、新鮮なことであった。
「北村さんも、同じことをすればよかったのに」
春美は答えを返す前に、一拍おいた。
「…………あたしはあたしのやり方で、幸せになりたいから」
「くす。 その身体のままで…………幸せになれるの?」
身体と精神に性別のギャップが存在し、それで苦しむのが、GIDである。ギャップを埋めることができなければ、いつまでも苦しむままだろう。
「そうね…………このままじゃ、どこまでいっても本物の女の子にはなれないけど……」
「…………………………」
「……でも、あたしがあたしになるための道には、一つの曇りも作りたくないから」
春美は夕焼けの空を見上げながら、言った。
「この身体に生まれたことを呪ったら、お父さんやお母さんに失礼だよ。 生んでくれたことそのものに、感謝しなきゃ」
終里は自分と春美の違いに、気づいた。
春美はどこまでいっても、『ポジティブ』なのだと。自分の生まれや理解のない家族、そして世界を呪っていた自分とは、そこが大きく違うのだと。それゆえにサイバーゴーストにも完全に支配されず、立ち向かうことができたのだと。
春美は、真のダークメイデンではなかった。”オカマ”と呼ばれたことも踏まえると、恐らくはサイバーゴーストが、あえて春美をその状態でとどめたのだと思っていた。しかし春美の一言は、春美自身がそうなることを望んでいなかったのではないか、さらに言えば、終里と同様のやり方でダークメイデンとなるように仕向けたかった、サイバーゴーストの意志にさえも反していたのではないか…………と、思わせるだけの力があった。
「おじゃましました」
夜。駅へと向かい歩き出す千陽達。しかし、春美の足は止まったままだった。
冬雪、夏月、春花、秋綺、そして終里。それぞれに、頭を下げる。
「また、会えたらいいね」
「そう……ね」
春美の差し出した手を、終里はそっと握り返した。
「お互い、自分らしい道を歩けたらいいね」
自分らしい道。それは人により異なる道。境遇の似ている終里と春美でも、それは例外ではない。
しかし、一つだけ共通点がある。
「幸せに…………なるためにね」
自分なりの幸せを求めて、人は歩く。これからも、いつまでも。