喫茶的尾道三部作 †
オフレポに気合い入れすぎ。
(事実を元にしたフィクションです)
登場人物 †
登場人物の性格および性質が、本来のそれとずれている部分もあるかと思いますが、ご了承ください。
- 微風ろろみ
- 売れっ子アイドル作家。今回は取材の名目で旅行。
- 華村天稀
- 青髪の電子妖精。とある事情で額に絆創膏。
- 志藤楓
- 蟲娘。行動、食べっぷり、ツッコミと豪快そのもの。
- 戸叶綾香
- 勝負事にこだわる完璧超人。
- 白川美空
- 下ネタ大好きな喫茶のマスター。
- 天津爛
- 幼児体型の魔法使い。ケータイは手放せないらしい。
- 文月沙織
- テレビ番組にもなった(?)TS少女。プチパペット持参。
- 栗原梓
- 妖精と人間の混血児。電子機器の知識は妖精同士タメを張る。
[1209] 広島オフレポート・1日目「過去と現在」 †
「間に合う……かしら」
栗原梓は市電の電停で、駅への到着時間を計算していた。
乗り慣れた市電だ。だいたいの所要時間はわかる。
しかし、梓には一つ、計算違いがあった。
『電停での待ち時間』である。
おそらく、先行の市電が行ったばかりなのだろう。梓は十分近く、寒空の下で待たされた後、やっと座席にありつくことができた。
車内で愛用……といっても買ったのはわずか二週間前だ……のPDAを展開し、今日のゲストの状況を把握する。梓も含めた彼ら彼女らは、電脳世界に開設された一軒の喫茶店に、常日頃出入りしている。
ちなみに、彼ら彼女らの中には、何らかの特殊な『事情』を持つものも多い。そしてそれは、梓も例外ではなかった。
遠い昔にこの世界へ来た、一人の妖精。彼女はこの世界で、一人の男性と交わり、新たな命が生まれた。
父母ともにその血筋を先祖に持つ梓に、生まれながらに不思議な力が備わっていたのは、決して偶然ではなかった。
今日は下手に使わない……と決めたところで、市電は駅へと到着した。
中国地方随一の大都市、広島市。その玄関口となる広島駅は、繁華街から離れた場所にある。
入場券を買い、出迎えのためにコンコースへと向かう。先ほど確認したが、折からの雪により、新幹線には少々遅れが発生していた。
再びPDAを展開し、ホームへと続くエスカレーターのほとりで、しばし待つことにした。
「梓さん、お久しぶりです」
聞き慣れた声が、耳に入った。
声の主は、微風ろろみ。アイドル作家である。梓とは仲がよい。
彼女もまた、『スプリッタ』という特殊な機械により、男性の身体から分身して現れる、いかにも微妙な存在なのだが、梓はそれを知らない。
彼女の後ろには、これまた見知った四人の姿が。
「久しぶりっ」
フランクに声をかけてくるのは、華村天稀。見た目は女性だが、実は『電子妖精』という種族である。
「電子妖精でも怪我はするのね」
「怪我ちゃうし」
天稀の額に貼られた絆創膏に反応した梓が、ぽつりとつぶやいた。
「よう」
志藤楓。一見普通の女の子だが、中身は虫である。とはいえ、完璧に擬態しているため、そうは見えない。
「どんなものが食えるか楽しみだ」
「とりあえず、広島名物で固めてみました」
ひときわ小さい少女が、天津爛。名家の出身の魔法使いである。
「やっぱ、子供料金?」
「あたしは小学生じゃないですっ!」
背格好は完全に小学生なのだが、彼女も一応高校生である。
なお、切符を買うときに、駅の係員にも同じ事を聞かれている。
「こんにちは」
で、もう一人残ったのが、戸叶綾香。人に負けるということを極端に嫌う少女である。負けそうなことははじめから勝負しないという説もあるが。
「マスターは?」
「身内の用事があって遅れるって」
全員がお世話になっている、喫茶のマスター、白川美空。
彼女からの報告は、天稀の携帯に入っていた。
「1時間ぐらい遅れるそうだから、先行って待ってような」
「荷物は?」
「あたしの車に入れておけばいいわ」
梓はそれを見越して、車を移動させていた。
「だいたい、それ危険物ですよね」
いつぞやの『キャリーカートスマッシュ』が、脳裏をよぎる一同であった。
「市電……よね」
日本国内で、もっとも市電が活発に走っている街、それが広島市。
日本各地の廃止された市電から車両を買い取り走らせているので、『動く市電の博物館』とも称される。
「目の前のが最新車両。 あれに乗りましょう」
「他の車両でも十分『最新』って名乗れる気もする」
国産技術の粋を集めた最新式LRT、『グリーンムーバーMax』。六人はそれに乗り込み、広島の繁華街を目指すことにした。
広島市中心部、本通り。
入り口の電停で市電を降りた六人は、梓の車に荷物を置いた後、美空の到着まで軽く時間をつぶすことにした。
……楓がおなかを空かせていたというのも、理由の一つだが。
「歩道橋の上から撮るのが、広島の風景としてよく見る」
道を挟んだ反対側にあるカフェに入るため、歩道橋を渡っていたところで、ろろみが市電にデジカメのレンズを向けた。
「胡町の歩道橋からが有名だけど、ね。 ……にしても、そろいもそろって『鉄分』濃いわね」
「鉄分ほしぃ…………」
「そっちかよ」
別の意味で(?)鉄分の補給が必要な天稀に、楓がそっとつっこんだ。
ちなみに……楓に限らず、つい男言葉を使ってしまう女の子(一応)が、喫茶にはしょっちゅう出入りしている。
というか、それが当たり前となっている。慣れとは恐ろしいものである……
カフェ『ベローチェ』。関東でオフが行われるときにも、時々使われる。
駐車場からほど近いこのカフェで、六人は美空を待つことにした。
「買っちまったのか」
「PDAはもういらない、と思ってたけどね」
互いにモバイルには詳しい、天稀と梓。所有しているCPU総数では双璧をなす。
「ちょっと触らせてくれる?」
「どうぞ」
これの前の機種は持っている天稀。仕様はよくわかっているはずなので、リニューアルされたキーボードの具合を見たいのだろう。梓はそう思い、エディタの画面を開いて手渡した。
数分後、天稀の手から戻ってきたPDAには、こう記されていた。
『今日も私は戦い続けるのだ!』
「もしもし……あぁわからん、電話代わるわ」
「美空さん?」
「そ」
梓やろろみがケーキを食べ終わらないうちに、美空から天稀の携帯にコールが入った。地元の梓に、電話を手渡す。広島駅構内のアナウンスが、一緒に聞こえてきた。
「もしもし……タクシーですか? 大手町のブックオフ前にあるベローチェにいます」
『ベローチェ?』
喫茶のマスターである美空だが、よくわからないらしい。
「ちゃんとしたタクシードライバーなら、迷わないでしょう。 大通りにも面してますし」
梓はそういって、電話を切った。
「ブックオフってのはランドマークとして弱い気もするぞ」
つっこみ役を買うことの多い楓は、ここでも梓につっこんだ。
「え? 行きすぎてます!」
美空が次に電話をかけてきたのは、タクシーの車中。で、そのタクシーがどこを走っていたかというと…………
「なんでデオデオのところまで突っ走るんだか」
「どういうこと?」
「ここ曲がらないといけないのに、まっすぐ行っちゃってる」
ろろみの持ってきていた地図を指さしながら、答える。
「タクシードライバーとしてどうかと思うぞ……」
天稀と同じ感想を、各人が持っていた。
「外で待ってるって」
数人が、店の外にいる美空らしき人物を確認し、飛び出した後。
『資料館の開館時間って短いんでしょ? さっさと行こう』と言われ、中に残っていたろろみ達を呼び出しに、綾香が戻る。
「お待たせっ」
美空の言う通り、平和記念資料館の開館時間は短い。閉館時間までは後1時間半。確かによけいなことをしている時間はない。
「荷物はどうします?」
「このままでいいです」
梓が車をタワーパーキングに回した後で、七人は平和公園に向かって歩き始めた。『タワーパーキングだからって安全ってわけじゃないけどな』という、楓の言葉を聞きながら。
「入る前には、『覚悟』が必要」
梓は受付前で、ろろみにそう言った。
六十数年前に、この街で起こった惨劇。すべてを語り尽くすことはできないが、できる限りのことを後世に伝え、二度と同じ事が繰り返されないことを願うために、この資料館は存在している。
「カメラ、収められているんですね」
「みなさんがどう思われてもかまわないですが、私はここでレンズを向ける気にはなれません」
つい先ほどまで、梓の首から提げられていたカメラが見あたらないことに気づいたろろみは、梓の口からその真意を聞いた。
資料館の中では、それぞれが絶句した。
むろん、このあたりの知識を持たない人は、一行の中には存在しない。
だが、現実は噂より、さらに凄惨なものであった。
取材と称していた一部の参加者の口も、次第に重くなっていった。この場の『雰囲気』が、そうさせるのだろうか。
閉館時間ぎりぎりに資料館を出た七人は、次いでその目の前にある慰霊碑へと参拝し、世界遺産のドームへと向かった。
「梓さんがここでレンズを向けられるのは、どんな時なんですか?」
隣にいたろろみが、神妙な面もちのままの梓へ聞く。
「平和だからこそできるイベント、の時ぐらいね。 花見とか、お祭りとか、この前の駅伝とか」
「……もしかすると、あたし達は失礼なことをしているのかもしれませんね」
「人によるから気にしないでください」
再び本通りに出ようとしたところで、天稀が店を眺めていた。
「どうしたの?」
「いや、頭寒いからニット帽でも買おうかと思って……時間いい?」
「ホテルならさっき時間を変更したし、別に……」
「そうか、それなら…………」
すぱこんっ
「痛ぅぅぅ……」
どっから取り出したのだろうか、いきなり美空にハリセンでひっぱたかれた。
「こら天稀、そっちに行くんじゃない!」
「別にいいんじゃ……」
綾香がそうフォローしようとしたが、美空は天稀に指を突きつけ、続けた。
「こいつ、こういう店に入ったら最後、なかなか出てこないのよ」
「こいつって言うな」
過去に何度も、前科(?)はあるらしい。
「梓さんって、このあたりにお買い物にくる事って、あるんですか?」
「この辺で見繕って、安い店で買う。 ブランドにはこだわらない」
彼ら彼女らのやりとりを後ろで聞きながら、ろろみと梓はまじめな話(?)をしていた。
本通りを端から端まで歩くと、目的地が見えてきた。
「なんですか、このカオスな空間は」
変なオブジェだらけ(?)の広場を通りかかった爛が、そう漏らす。
「大人が若者の趣味を曲解して作ったら、こんな感じになるんだろうな」
楓がそう続ける。
ちなみにこの広場、あまり良くない理由で有名である(……)
広島ならではの食べ物といってもいろいろあるが、もっとも有名なうちの一つがお好み焼きであることに、異論を挟む者はそうそういないだろう。
ほぼお好み焼き屋”だけが”入居する雑居ビル、『お好み村』は、広場の目の前にあった。
「さあ、どっち!?」
梓がそう言うのは、2軒左隣に、これまたほぼお好み焼き屋”だけが”入居する雑居ビル、『お好み共和国』があるからである。
その2軒に挟まれたのも、またお好み焼き屋なわけであるが。
「広島ならでは、って感じ」
結局、歴史が古いということで、お好み村へ入ることにした七人。だが夕食時でもあるため、全員が同じところで食事をとるのは困難な状況だった。
そのため、美空班(美空、楓、天稀)と梓班(梓、ろろみ、爛、綾香)へ分かれることとなった。
「頭の中では、ここに決めてた」
梓がそう言って向かったのは、『八昌』。有名店である。
「天稀さん、困りますね」
「普通のにすればいいだけだと思う」
貝類と甲殻類が苦手な天稀。ろろみや綾香が注文したスペシャルお好み焼き(エビと生イカ入り)は食べられないだろう。
広島風お好み焼きは、鉄板から直接コテで食べるのが特徴である。
「垂直に力を入れるんよ」
コテと格闘しているろろみと綾香を後目に、関西在住なので扱いにはある程度慣れている爛は、期間限定の牡蠣入りお好み焼きをぱくついていた。厳密には『牡蠣載せ』と呼ぶ方が適切だが。
四人が外へ出ると、目の前に楓が腰掛けていた。
「楓さん達はどこで食べられていたんですか?」
「『水軍』と、そこ」
楓が指さしたのは、雑居ビルに挟まれた『村長の家』。
「2枚食べてこのペース!?」
綾香は驚いていたが、ろろみと梓は予想していたのか、『やっぱりね』という表情をしていた。
「美空さんはまだ中にいるかも」
「意外と食べるんですね」
しかしそのころ、美空は天稀とともに、隣のヤマダ電機の中を探し回っていた(笑)
「うわぁ……」
港の近くにあるリゾートホテル。ここが今回の宿泊場所である。
過去の一泊旅行ではビジネスホテルが主だっただけに、爛が思わず声をあげるのも無理はない。
『場所柄、設備の割に安い』というのが、梓の選定基準である。
「予想より広いね……」
集会場所として梓が予約したのは、ファミリールーム。定員は四名なのだが、明日合流のもう一人を含め八名になったとしても、全員が余裕を持って座っておしゃべりできるという、豪勢な部屋である。
「外って……海かな?」
夜になっていたので、12階からの景色は見えない。しかし、時折光が反射して見える波は、そこが瀬戸内海であることを示していた。
「で、3部屋あります。 綾香がUNOを持ってるので、それで決めましょう」
部屋割りは、こうなった。
・ファミリールーム:ろろみ、梓、爛(明日は移動)
・ツインルーム2:楓、綾香
・ツインルーム3:美空、天稀
「なんで1が抜けてるんだ」
「ファミリールームとツインルームの間にもう1部屋あるから」
「尾道、ってことはこれですよね」
ろろみが愛用のPCを広げ、ビデオを再生する。
『転校生』。一部の作家には特別な意味を持つ映画である。そのロケ地となったのが、明日行く予定の尾道である。
ろろみをはじめ、自分自身あるいは身近な存在に『該当者』がいるだけに、それぞれがそれなりの興味を持っていた。
「あっ、ちょうどいいタイミングで帰ってきた」
ホテル内にあるコンビニに買い出しに出ていた楓と綾香が部屋に戻ってきた時には、あまりにも有名な『階段落ち』のシーンが再生されていた。
一部『お約束』のシーンを抜粋して再生した後で、次にろろみが再生したのは、『ママレードボーイ』であった。これもまた、明後日に行く予定の宮島が舞台となっている。
行く場所は参加者の間で綿密に打ち合わせていたので、ろろみはそれにあわせてビデオを持参してきたのである。
「ちょっと、外出してくるわ」
『ママレードボーイ』の再生が終わった後、梓は外出することにした。大した用事でもないので、『ナイトクルーズでもいかがです』と誘いをかけていたが、結果としては一人での外出となった。
「ん…………心配ね」
明らかに雨でないものが、空から降り注いできた。明日の天候が不安になる。
「絶対負けないからね」
そのころホテルで、綾香の持ってきたUNOに興じていた六人が、誰からともなくこう漏らした。
「TSカードゲームなんて、作ったらおもしろそう」
この一言がきっかけで、旅行が終わるまで、このゲームの素案について参加者の間で討議されることとなる。
ちなみにUNO自体は、綾香の全勝……とはいかなかった。
「こんなカードも持ってたり」
「ライフカード?」
「これって『終わり』あったっけ?」
「ただいま」
梓が帰ってきたのは、日付が変わろうとする時間であった。
「雨じゃないものが降ってます」
「槍?」
「少女?」
予想通りのボケが返ってきた(笑)
「梓さんもやります? 最後の一回ですけど」
「せっかくだから、混ぜてもらいます」
こうして、一日目の夜は更けていった。
[1217] 広島オフレポート・2日目「坂をかける少女たち」前編 †
「おはようございま〜す」
ろろみは枕元で聞こえた、誰だかわからない声に反応し、飛び起きた。
隣のベッドを見ると、『してやったり』という表情で、梓が携帯を持ったまま、こちらを向いていた。
「それ、どこからダウンロードしたんです?」
「してない。 私の声だから」
そういえば、口調や声の高さは違うものの、どことなく梓の雰囲気は残っている。
「実はこんな声も」
梓が携帯をいじると、同じ声で聞き慣れたフレーズが聞こえてきた。
『汝のあるべき姿に戻れ』と。
知り合いの『さくら』好きな二人の女子高生を思い出した、ろろみであった。
その時、ろろみと梓は、目の前の重大な問題に気づいた。
「「間に合わないっ!」」
この日は8時4分ホテル前発のバスに乗り込み、広島駅へと向かうことを決めていた一同。
現在の時刻は、7時40分。間に合わないこともないのだが、身支度はおろそかになってしまう。アイドル作家としてのプライド(?)がそれを許さなかったろろみは、梓に相談した。
「他の人を先に行かせて、私たちは車で追いかければ、尾道到着の時刻は変わらないはず」
尾道ももちろん、梓の行動範囲に入っている。そこまでの所要時間を概算した梓は、そうすることを美空に伝えた。
間に合いこそしないが、尾道への到着時刻を遅らせるわけにはいかない。ろろみと梓は短い時間で身支度を済ませ、ホテルを後にした。時刻は8時20分。
「いつ頃到着します?」
「10時半。 美空さんたちが予定通りの列車に乗るなら、こっちが少し早いぐらい」
ナビを操作しながら、梓がろろみの質問に答える。
「メアド知ってる人にメールを打って、何時の列車に乗るか聞いてください」
「わかりました」
しばらく後にろろみの携帯に返ってきたメールには、予定通りの『9時23分』と書かれていた。
「朝、どうされます?」
「途中で買っていこうと思うけど……マクドナルドでかまわないですか?」
「え……ええ。 それでいいです」
ろろみと梓。知り合ってからはそう長くはないが、すでに二人の仲は、深いものとなっていた。
二人の乗った車が、尾道インターチェンジを降りたのは、10時過ぎ。予定よりは少々早い。
「なんか……独特の雰囲気を感じますね」
山陽本線をまたぐ跨線橋を越えると、ろろみの言うような不思議な風景が広がっていた。
「ちょっと、寄り道します?」
「どこへ?」
「…………まあ、後で行くんでしょうけど」
行く場所をちょっと先取り、という梓。しかし本音は、『昼に行くラーメン屋の場所がはっきりしていない』からである。
「あ、これって……」
ラーメン屋の近くにある一軒の家を見て、ろろみが声をあげた。
「確か、ここ……」
『転校生』で、主人公の斉藤一夫の家となっていたのが、目の前の家であった。
「玄関横にポスター貼りたいかも」
むろん、そんなものまで用意しているわけはないし、そこには現在でも人が住んでいるので、してはいけない。
「で、ラーメン屋はここ……かな」
そのほど近くに、探していたラーメン屋はあった。この位置なら、間違いなく全員で来るだろう。
車を尾道駅近くの駐車場に入れたのは、10時35分。
「互いに待たずに済むね」
すぐに尾道駅へ行こうとすると……途中に不思議なキャラクターがいた。
「『わたるくん』、だったかな」
本四連絡ルート『しまなみ街道』のキャラクターである。
「そういえば、先着何名かに無料でETCの機械をプレゼントしてくれる日だったような」
梓の車にはすでにETCが装備されているので、ここはスルーである。
なお、後に調べたところ、無料配布は専用のクレジットカードの申し込みが条件であった。
10時43分。広島から直通の快速『シティライナー』が、尾道駅に入線してきた。
ほどなく、天稀を先頭とした五人が、改札から出てきた。
「すいません、遅れてしまって」
「いえいえ」
「さおりんから連絡があって、11時過ぎ、って言うとった」
『さおりん』こと、文月沙織。昨日は家の都合で来られなかったため、この尾道から合流となる。
「どうします?」
「とりあえず、先に行っててもいいって。 ラーメン食べるまでに合流したらいいと思う」
「お? お!? ……ないっ、なくなってるっ!?」
「え!?」
「尾道来たとたんいきなりTS!?」
慌てる天稀。美空あたりは『あんた電子妖精なんだから関係ないでしょうが』とか、ため息をついていたのだが。
「……で、何がないの」
「帰りの電車の切符…………」
どうも、ホテルの部屋に置き忘れたらしい。
「車に乗ればいいわ。 まあ、私のが行きで浮いたから、あげてもいいけど」
ろろみと梓の遅刻が、怪我の功名となった。
3連休の中日。観光客は多いだろう。
駅前では、観光案内マップが配布されていた。
「一応、カスタマイズしてきたんだけど」
尾道三部作のロケ地がわかるマップを、梓が数枚印刷して持ってきていた。それとは別に、ろろみもタイプの違うマップを持ってきていた。
「三部作のロケ地マップもあるんだけど、わざと場所がわかりにくくなっているそうよ」
「どうして?」
「歩き回って欲しいっていう、監督の意向だって聞いたけど」
それが事実かどうかは、不明である。
「足形?」
マップを見ていた綾香が、その表示に気づいた。
「尾道にゆかりのある人の足形、らしいわ」
「監督の見つけた」
駅からほど近い場所に、それは見つかった。
「商店街の入り口まで続いてそう」
その言葉の通り、駅前の足形は、アーケード街入り口近くまで続いていたが……
「『二子山親方』は職業なんか!?」
名前、足形を取った日、職業の順に上から並んでいる案内板に、なぜかその記述があった。
「あ〜、これが例の跨線橋ね」
かなり急である。自転車で助走なしに一気に駆け上がるのは、難しいだろう。
「そろそろ、来るはずよ」
時計に目を落とした美空。ほどなく、踏切の警報機が音を立て始めた。
沙織を乗せた列車は、いわゆる『湘南色』。このあたりではすでに希少となっているが、『転校生』当時はほとんどがこれであり、映画でこの跨線橋が出てくるシーンにも登場している。
「見えた?」
「追いきれなかった」
手を振ると言っていたが、七人がそれを確認することはできなかった。
「アルミケースがある? ……ああっ、忘れてた」
沙織が持ってくると言っていたアルミケースの存在を、美空は失念していた。
「車に乗せる? 持って歩くのも荷物になるし」
結果、美空と梓が尾道駅近くまで戻り、沙織の荷物を車に入れた上で、戻ってくることになった。
「他の人は先に行ってて」
「ラーメン屋の場所、わかるの?」
「ろろみちゃんが知ってるし、そんなにてきぱき歩かないと思う」
『取材』と銘打ち、手持ちのマップにいろいろと書き込みをしていたろろみは、頭の後ろをぽりぽりとかいた。
二人が沙織と出会ったのは、商店街の入り口だった。
「す、すいません……途中から押し掛けちゃって……」
本当は初日から参加したかった沙織であるが、どうしても抜けられない用事が昨日に組まれていた。
「いいって、用事があったんだったら仕方ないし」
「初めまして」
沙織と梓は、初対面となる。
「こちらこそ」
「それが、例のロボット?」
アルミケースを提げていた沙織。確かにこれを持ったまま歩くのは、結構負担かもしれない。
ちなみに梓は、沙織が普段操縦しているメガパペットと対比させ、見もしないうちから勝手に『プチパペット』と命名していた。
「大阪って今日も雪ひどかった?」
「昨日はひどかったけど、今日はそんなに……」
ローカルな話題に、梓はついていけなかった。当たり前だが。
三人が先に行っていたろろみ達と合流したのは、とある踏切の前だった。
沙織と綾香も、ここが初対面となる。
「ここでモノクロからカラーに切り替わるのよね」
貨物列車を待ちながら、ろろみがそう漏らす。
「誰かモノクロで動画撮れる人いない?」
「これなら……」
梓のデジカメは、その辺の設定がいじり放題である。
「でも、カラーを後からモノクロにする方が楽よね」
美空の指摘は、的を射ていた。
日本一短い船旅が楽しめる(?)、尾道と向島の渡し船。八人はその桟橋の前にいた。
「向こうの桟橋が見えるって新鮮」
「何分乗るんだ?」
せいぜい3分程度である。ちなみに渡し船、ここ以外に少なくとももう2カ所はある。
「見てよ、この電話ボックス」
上に『ダイヤル市外通話兼用』と札が下がっている。数十年前の代物だろう。
「でも中身は……今風なのね」
これで赤とか黄色の電話が入っていたらおもしろいのだが、残念なことにグレーであった。ちなみに扉には『公衆電話室』と書いてある。
「映画資料館?」
市が経営している資料館は、市役所からほど近いところにある。
「探しているような資料はないみたい」
「どうすんだ?」
「……スルーでいいでしょ」
あっさりとスルーされた。有料だったのもその一因だろう。
ちなみに、この資料館付近は、『転校生』のラストシーンに用いられている。気づいたのは先ほど逆方向から走ってきた、ろろみと梓だけである。
「宇宙一おいしいって、どうやって比較するんだよ……」
天稀がそう漏らしたが、答えは誰からも返ってこなかった。
ラーメン屋『フレンド』。市内中心部からはずれているので待たされないことと、一夫の家が近くにあるのでいずれにしても通るだろうという点から、梓が選択していた。
宇宙人の顔に穴があけられた、観光名所でよくある『観光記念』的な看板が置かれていたが、その看板によると『毛が3本のお化け』や『箒を持った歯ぬけのおじさん』は、宇宙人に分類されるらしい(笑)
梓の思っていた通り、店内は比較的空いていた。
カウンター席に沙織、梓、ろろみが腰掛け、残りがテーブルを囲む。
一食ずつ作るため、最後のラーメンがろろみの元に運ばれてくるまでには、時間を要した。綾香・ろろみ・梓がチャーシュー麺、残りは大盛りチャーシュー麺である。
「それ、ピンキーストリートですよね?」
「真琴さん?」
梓が持ってきていたのは、『ピンキーストリート』限定モデル、紺野真琴。尾道三部作の一つ『時をかける少女』が、アニメでリメイクされた際の主人公である。沙織とろろみが、彼女に反応した。
「尾道ラーメンってもっと麺が細かった気もするけど」
一口に『尾道ラーメン』といっても、様々なスタイルがある。
比較的麺は細め、スープは少々濃いめ。背脂がのっているのは、よくあるパターンか。なお、スープの濃さは好みによって調整してくれる。
「どうでした?」
「おいしかったです。 思っていたイメージとは、ちょっとだけ違うけど」
一夫の家を通過した後、商店街へと再び戻り、個人経営の資料館『29musse』を探す八人であったが、なかなか見つからない。
「おかしいわ……確かこの辺なんだけど」
場所はろろみの持つマップにしか載っていない。それを参考に探していたが……目に付いたのは百人ほどの行列ができているラーメン屋であった。
「有名どころだとこれぐらい並ぶ。 時間に追われて作るとおいしくないと思うから、あんまりおすすめしないけど」
「これ!?」
『29musse』を探していたろろみと梓は、やっとお目当ての資料館を見つけた。
「奥に入り込んでいるのね……」
興味を惹かれる資料が多いはずなので、早速入ろうとした八人。と、その前に立ちふさがったのは、一枚の看板だった。
「『躾のできていない方の入館はお断りいたします』?」
過去に、何があったのだろうか。
「騒いだか、貴重な資料を傷つけたか、そんなところか」
入場料を払い、中へと入る。
お目当ての資料は、入ってすぐの場所にあった。
「何カ所行くのかな?」
立体のロケ地マップ。二次元は表現できない尾道特有の地形が、目に見える形でそこにあった。
「新旧同時上映のパンフレットだ」
昨年の夏、新旧の『転校生』が、この尾道で同時上映された。
「気合いがあれば行けたのよね」
「え?」
どうも、梓はある程度本気で考えていたらしい。
「平日じゃなかったら間違いなく行ってたと思う……」
パンフレットに記載されていた上映日は、月曜日であった。
『29musse』の建物は、江戸時代に本陣として用いられた建物を、増改築して用いている。いわば、この建物そのものも、一つの資料である。
奥に通された八人。ある部屋の真ん中にあった、不自然な形の畳に、目がいった。
「開ける?」
「開くのか?」
とりあえず、開いてみた。特に何もなかった。
「なんなの、これは……」
「もしかすると、ここで用を足していたのかも」
「あぁ、こんなところにあったのね」
『29musse』の看板は、商店街から見える場所に、ひっそりと置かれていた。
「よく見たら上にもある」
上を向いて歩いていたら、見落とさなかったかもしれない。
[1218] 広島オフレポート・2日目「坂をかける少女たち」後編 †
山陽本線のガードをくぐると、左に『common』と書かれた店。
「これかな?」
「なんか、雰囲気が違う」
『茶房こもん』かと思ったが、写真で見た建物とはかなり趣が異なる。後で探すことにした。
「あぁ、ここね」
御袖天満宮。天満宮という名の通り、『学問の神様』菅原道真が祀られている。この季節、『**合格!』と書かれた絵馬が多い。
しかし、それ以外の目的で来る観光客も、数多い。
そこにあるのは、あまりにも有名すぎる階段。
『階段(−落ち)』〔かいだん−おち〕
1:大林宣彦監督の映画「転校生」で有名になった、男女入れ替わりの手段。抱き合いながら階段を転げ落ちて、気がついてみると、目の前に自分が倒れていたりする。
2:実際に真似すると、とても痛い(笑)。
(出典:TS用語大辞典『転辞苑(笑)』)
「誰か一緒に落ちます?」
イケメンと一緒に落ちて男に戻りたい……と楓は思ったかもしれない。美空・ろろみ・沙織もTSっ娘なのだが、そろいもそろって可逆である。
「ここは白黒よね」
そのろろみは、デジカメを白黒モードに切り替え、写真を撮っていた。
「白黒で降りながら動画とか」
梓はその上をいっていた(笑)
「あっ、ここ」
ろろみ達の記憶にある『茶房こもん』は、ロープウェイの駅のすぐ前にあった。
ティータイムには少々早いが、すでに列ができている。
「テラスならすぐにご用意できますが……」
「どうする?」
「……時間ないわよね」
美空はテラスでのお茶を選び、七人は同意した。
「そうそう、きりかが一眼欲しいって言ってたけど、お勧めってある?」
注文を待つ間に、美空が梓に切り出した。
「レンズ資産は?」
「ないわね」
資産の有無は一眼選びにおいて、重要なファクターとなりうる。
「お子さんもいたよね?」
「そう、ビデオで追ってもいいんだけど、って」
なら、望遠が欲しくなる。
望遠レンズを使うのなら、レンズ側に手ぶれ補正がついていた方が、より高い効果を見込める。
「コストを考えると、店頭在庫のみだけどニコン『D40x』のダブルズームが最良解。 新機種のニコン『D60』やキヤノン『KissX2』もいいと思う」
『T's』の1stステージでニコン『F3』使いの西川小太郎をキャラクターとして用いていた身としては、是非ニコンにいってもらいたい、と梓は思っていた。ちなみに、2ndステージでキヤノン『G7』使いの北村春美をキャラクターとして用いているほたるは、現実世界でキヤノンの一眼を持っている。
残念なことに、『転校生』当時のメニューは、すでにない。
また、テラスでのお茶となったため、ホットの飲み物が欲しくなる。
ホットドリンクをセットで注文できるのはバターワッフル(もっともベーシックなメニュー)のみであったため、多くがそれを注文した。
「あの、寒くてバターが溶けないんですけど」
足元にストーブは用意されていたものの、真冬の寒空の下、ワッフルをおいしく食べるには、急いで食べる必要があった。
「ロープウェイはどうする?」
「登るのは乗るけど、降りるのは別に徒歩でもいいかも」
山頂にある千光寺公園からは、『文学のこみち』という遊歩道が整備されている。そこを歩くのもいいだろう。
「じゃあ、片道だけ買っててください」
ワッフルを食べた後、ろろみと梓はロープウェイの駅横にある、鳥居をくぐった。
艮(うしとら)神社。『時をかける少女』に登場している。ロープウェイがすぐ上を通るという、珍しい風景が見られる。
「真琴ちゃん、います?」
「います」
梓がどうしてもやりたかったのは、ここで真琴の写真を撮ることである。
ロープウェイの出発時刻が迫っていたので、急いで戻ることにした。美空の待つ階段ではなく、エレベーターを使ったため、行き違いが生じたが。
ロープウェイを降りると、展望台がすぐ前にあった。
尾道を見下ろすことができるこの展望台に、そろって登ることとなった。
「こんなに近くなんだ」
尾道と言えば坂の街。海からはさほど離れていないこの山だが、高低差はかなりのものとなる。
「あそこって四国?」
「違うだろ」
そんな近くに見えるわけがない(笑)
雲の切れ目から、陽の光が漏れる。天気は次第に良くなってきている。
「これ、撮れる?」
幻想的な風景を、沙織が撮ってみる。
「こんなところ、かな」
「そうそう、ここで……」
展望台を降り、文学のこみちに入る。志賀直哉の句の付近。
ロケ地めぐりパンフレットでは『色眼鏡のコワイお兄さんにカラマレたら玉をけっとばしてください』とか、縁起でもないことが書かれている(笑)
「やっぱり、背後にロープウェイが通らないと」
そのタイミングまでしっかり粘る、天稀と梓であった。
千光寺を抜け、古寺巡りコースとなっている小道へと入る八人。途中の休憩所で、美空がPCを広げた。
「これ、なに?」
「そっか……梓は外出していたのよね」
昨日から話題になっている、TSカードゲーム。画面に表示されているのは、その原案が記載されたテキストである。
「『お約束』満載ね」
これを尾道で考えるということに、意味があるのかもしれない。
「あれ? 雨?」
先ほどは陽が差していたのに、また雨が降り出した。
「傘って持ってる?」
「置いてきちゃった」
「入る?」
ろろみに傘を差し出す梓。素直に受けるろろみ。だがそのすぐ後に、雨はやんだ。
「帰り、どうする?」
梓の車に乗れるのは、梓も含めて最大4人。ケースを預けている沙織や帰りの切符を忘れた天稀は、当然車となる。
「車に乗る人数が多いほど、足代が浮く」
「あたしが乗ります」
最後の一席は、ろろみが座ることになった。
「じゃ、ここからは各自で行動って事で。 7時に予約してるから、それに間に合うようにね」
「了解しました」
列車に乗る人と車に乗る人が、別れた直後。
「一美の家、探してみる?」
「行ってみてもいいかも」
梓とろろみの間で一瞬のうちに意見がまとまり、『転校生』ロケ地の中でも発見の難しい、一美の家を探すことになった。
一美の家の発見が、なぜ難しいか。
それは、まともな方法ではすぐ近くに行けないからである。
「人の家に入るような形で行く、だって」
通信環境内蔵のPDAでアクセスしながら、梓が目的地の位置を確認する。
「この左のあたり、だと思う」
横道にそれる四人。ちょうどそのころ、残りの四人を乗せた列車は、尾道駅を出発していた。
行けども行けども、目的の家は見つからない。
そんなに離れてないはずなんだけど……とぼやきながら、下に降りる。
「あれ、そんな感じじゃない?」
沙織が左手に見える、不思議な雰囲気を持つ家に気づいた。
「ベニヤで窓が覆ってある……怪しい」
その様子は、先ほど梓が確認した情報と、一致していた。
しかし、そちらへ行けそうな道はない。結局、最初の道へと戻ってしまった。
「ちょっと、失礼」
小学校の正門へと続く階段を上り、高いところから確認しようとする四人。と、ろろみが気づいた。
「やっぱり、あれ……」
どこかで見たような、三角屋根。昨日ビデオを持ってきていた本人が言うのだから間違いないだろう。
「でも、どこから入る?」
「さっきの道に入り口がなかったのなら、横道にそれるまでのどこか」
その言葉通り、入り口は見つかった。
「なるほど、これは見つからんわ」
人の家の前を通るようにして、目的地へは到着した。
すでに人は住んでいないのだが、中には入れないようになっているので、外観だけの撮影となる。
「入りきらん」
天稀の持っていた広角レンズ搭載デジカメでも、玄関前から全容を収めることはできない。それぐらいの大きさの家だ。
「ふっふっふ〜、16ミリ相当だったら余裕〜っ」
これで撮れなければ、諦めた方がよい。先に『反則』と言われたが、そう言われても仕方のない、梓のデジカメであった。なお、梓はこの事態を予測して、わざわざ2台持ってきていたりする……
こうして、ロケ地巡りは一通り有名な場所を巡り終え、終了した。
尾道インターから再び高速に乗り、広島を目指す四人。
「いつごろ着く?」
「ぎりぎり……かも」
ナビの到着予定時刻は、6時50分。道の流れに沿って走る。
「梓さんって、結構飛ばすんですね」
「程々に」
6時10分。美空達の電車が、広島駅へと到着する。梓達に連絡が入る。
「何かしておくことありますか?」
「帰りのきっぷ、とか」
「沙織ちゃんは買ってる?」
「まだ……」
その辺の店で3枚買っておきます、ということで、とりあえず電話は切れた。
「そう、ここから街が見える」
山陽道から都市高速へと入った、梓の車。下り坂の途中で見えるのは、広島の街の灯。
「帰ってきましたね」
「ようこそ、広島へ」
「へ?」
「沙織ちゃんは初めてでしょ?」
過去に来たことはあるが、この旅では確かに初めてだ。
6時45分。
夕食の会場からほど近くにあるタワーパーキングに車を止め、四人は歩き始めた。
「美空さんと合流しなきゃ」
美空に連絡を取ろうとするが、なかなかつながらない。
「とりあえず、先に店に入っておきますね」
梓の名前で予約しているので、一人だけ先に入っておかなければならない。
だいたいの場所は美空にも教えていたので、向こうの方から歩いてきた。
「寒いところを歩いた後は、やっぱ鍋かな」
広島産の食材だけで構成された、『広島ええじゃん鍋』。多くの店で出されているが、食材の量、質に応じて、お値段には幅がある。ここのお店は比較的高い部類に入る。
「牡蠣ダメ……」
貝類甲殻類がダメなことは、事前にろろみに聞いて知っていた。
梓は当初、牡蠣尽くしのコースにする予定であったが、天稀のそんな事情を聞いて変更していた。
「これだけあれば、食べるものはいろいろあるでしょ?」
クーポンを兼ねたPCの画面のプリントアウトを見ながら、天稀は納得していた。
「テーブルがいっぱいになる前に出しておこ」
沙織は持ってきていたアルミケースの、ふたを開けた。
「へぇ、これが……」
「でも、なんかどっかで見た姿……」
各所の飾りは、その場にいた皆が知っている、あのロボットを思い起こさせた。
「さあいくわよ、『スカーレットプリンセス』!」
沙織の手に握られていたのは、トリガーでなく赤外線リモコンであったが。
完成にはまだ遠いのだが、ふらつきながらも二足歩行ができるぐらいの状態にはなっている。
デモンストレーションをひとしきり行った後で、沙織がぼそっとつぶやいた。
「これやると、壊れちゃいそうな気もするんだけど……」
といいながら、前転や後転を決める。有線操縦のメガパペットではまず無理な動きである。
「ああっ、飾りがとれたぁぁっ」
沙織の悪い予感が当たってしまった。まあ、接着し直せばいいのだが。
「どう?」
「……おいしい」
牛肉、豚肉、様々な野菜、そして牡蠣。味噌味をベースにしたスープ。
おそらく、広島でしか食べられないであろうその鍋は、おいしかった。
2時間のコースが終了したのは、9時を少し回った辺りだった。
「じゃ、買い出しする人とまっすぐ帰る人で別れようね。 比較的元気な人が買い出しで」
梓、ろろみ、天稀、綾香が買い出し、残りがまっすぐホテルへ帰ることとなった。
「あれ、作りたいかも」
車中で、ろろみが切り出した。
「あれって?」
「ろろみジュース」
ヨーグルトドリンクとトマトジュースのブレンドである、ろろみジュース。実際に作るのも容易である。
「これぐらいのスーパーだったら、どっちも置いてそう」
ホテルから車で少し行ったところにある、大型スーパー。梓が車を止めたのはそこだった。
「ほっとろろみも作る?」
「あれが好きなのはおもちだけだから」
確かに数回続けて、ほっとろろみを注文していた。ちなみにろろみ自身も、ほっとろろみは飲んだことがないらしい。
「あっ、来た来た」
梓達がホテルへ戻ると、美空がすでに部屋の鍵を受け取っていた。
「ジュースはどうする?」
「後でタイミングがあれば、でいいと思う」
とりあえず、冷蔵庫に入れることにした。
「日頃お世話になってるみんなへ、ってことで受け取って」
梓とろろみが出したのは、チョコレート。バレンタインには少々早いし、連れは全員女の子なのだが、そんなのは関係ないらしい。
「結構数あるね……」
それがあったために、ろろみジュース以外の大した買い物は、行わなかった。鍋ですでにおなかいっぱいになっているともいうが。
「ここ、完璧に押さえたんじゃないの?」
梓が尾道で撮った画像を、ろろみのPCで再生したビデオで確認する。白黒で撮影していたことも含め、雰囲気はそっくりであった。二十五年の歳月が流れても、変わらないものは変わらなかった。
「遊んできます」
旅費の精算のために両替することも兼ね、梓はフロントで翌日の高速船のチケットを購入した後、ホテル内のゲームセンターへ向かった。
そこそこゲームはうまいと思っている梓。お菓子が入っているとやりたくなってしまうらしい。
「あ、来られたんですね」
しばらくゲームセンターの中を物色していると、ろろみと綾香がやってきた。
「どうせだから、これ撮る?」
梓が指さしたのは、プリクラだった。
意外なことに、梓にはこういう経験がない。やりたいとは思っていたが。一人で入るようなものではない。誰かを巻き込むなら、ある程度気心の知れた相手の方がいい。
そんな梓が巻き込んだのは、ろろみだった。こちらは何度も撮ったことがある。
(『微妙存在ろろみ』第6話後編に、関連するシーンが登場します)
「どう?」
「納得できたのは後半だけ」
場の雰囲気に似合わず、難しい顔をする梓であった。
6枚撮影した写真のうち、4枚を選択し、それにペンでお絵かきができる。ろろみの撮ったプリクラも、確かこんな感じだった。
「半分に分けなきゃ。 はさみってある?」
「車の中にはあるけど」
明日持ってくればいい、ということになり、そのまま部屋へ戻ることとなった。
ゲームセンターに行っていた三人が、ファミリールームへ戻ってからほどなくして、疲れもたまっていた各人がそれぞれの部屋に帰り、二日目の夜は更けていった。
せっかく温泉付きのホテルを選んだのだが、入場時間が過ぎてしまっていたため、結局誰も利用することはなかった。
なお、ろろみと梓の間では話が弾んだ上、二人とも入浴したため、就寝時間は午前3時を回っていたことを、付記しておく。
[1224] 広島オフレポート・3日目「神の住む島」 †
「少々、遅くていいよね」
三日目は二日目ほど、朝は早くなくて良い。
やはりホテルのすぐ横にある桟橋から出発する、宮島行き高速船の出航時刻は、9時半。
チェックアウトのために時間は要するものの、ろろみと梓は、起床時間を昨日から40分ほど遅らせた。昨日の反省をふまえ、身支度に要する時間は多く見積もったが。
他の部屋で宿泊していた六人が、ファミリールームへと集まる。
「ろろみジュース、飲む?」
昨日冷やしていた、ヨーグルトドリンクとトマトジュース。コップも昨日購入済みである。
とりあえずは、ろろみが通常飲んでいるブレンド比、1:1で試してみる。
「もう少し、ヨーグルトを増やした方がいいかも」
少し飲んでは、ヨーグルトを継ぎ足していく。そんな状態が続いた。
その場に居合わせた八人の間では、ヨーグルト:トマトの比率は、7:3から8:2ぐらいが望ましいという、結論になった。そして、トマトジュースが余った(笑)
「ん?」
このホテルでは、部屋の入り口横に、毎日新聞が入れられている。
ぱらぱらとめくっていた梓の目が、ある紙面で止まった。
「今日だったんだ……」
閉店が噂されていた『ベスト電器広島本店』。
先週梓が行ったときには、明らかに噂でなく店じまいの準備を始めていたのだが……閉店はこの日だった。
「行こうかな?」
「ちょっと、行ってみたいかも……」
予想通り、天稀が食いついてきた(笑)
「間に合わない…………かも」
梓は時計を見ながら、そう漏らした。
梓は車のため、どこかに車を回しておく必要がある。先に広島港まで車を回して、そちらから乗ろうと思っていたのだが、チェックアウトから広島港を高速船が出航するまでは、わずか15分。梓は急いだ。
その直後。
「な、ないっ! なくなってるっ!」
駐車券を途中で落としてしまっていたのだが。
「はぁ、はぁ……走らなくても間に合ったかも」
ホテルと広島港は、梓の思っている以上に近かった(笑)
とりあえず乗船し、前方にあるソファー席を確保する。船は程なく、ホテル前の桟橋へ到着した。
「お見事っ」
ソファー席は、八人でちょうど埋まるぐらいのスペース。テーブルを囲んでUNOを始めたのは、必然だったのかもしれない。
「全員そろって撮っておく?」
そういえば、これまでの旅で、集合写真は撮影していない。
「そうね。 それなら扱えると思うし」
昨日、梓の持つもう一台を『手に余る』と評した美空であったが、今日持ってきていた方は扱えると判断したらしい。
梓と美空、それぞれが2枚ずつ撮影する。
「宮島の鳥居が見えるところで、また撮影しておこうか?」
「いかにもって感じだけど、それもいいわね」
30分ほどで、高速船は宮島へと到着した。対岸の宮島口とを結ぶフェリーとは、少々離れた桟橋へと接岸する。
「荷物入れなきゃ」
天稀を始め、梓以外は皆、重い荷物を持っている。これを持ち歩く理由はまるでないので、とりあえずロッカーを借りることにした。
桟橋から表へ出ると、昨日『29musse』で見たような3Dジオラマが、観光案内として置かれていた。もちろん屋外なのでケースに入れられているが。
「どの辺から行く?」
「こっから左に行っても大したことないし、神社をすぎたら水族館にでも行かない限りおもしろくないかも。 花見とか紅葉の季節なら別なんだけど」
思いっきり『地元』の梓。このあたりの事情は知り尽くしている。
「『日本三景の碑』だって」
実家の近くに日本三景がある、ろろみが反応した。
「これで二つは制覇。 あとは天橋立だけね」
何か理由がないと、行けそうにない場所だ。
「とりあえず、撮ってもらお……」
「写真、撮っていただけますか?」
カメラを首から提げていた梓は、『できる人』に見られたらしい(笑)
渡されたカメラはろろみのと同系列だったので、軽く設定を変更して撮ってあげたあと、ろろみのを手渡して撮ってもらった。
「うぅ、焼き牡蠣食べたい……」
そういえば、朝食は食べていない。
お店の前から漂う焼き牡蠣の香りに、楓と美空が反応した。
「なんか食いまくりそうだから、先に行っててもいいぞ」
それほどおなかの空いていないろろみと梓は、少し先に行って待つことにした。
「『裏店』?」
いつぞやの秋葉原では、『好き好んで駅裏店なんて名前は付けない』と言っていたのだが、宮島に関してはその思いこみは通用しないらしい。
海にこそ面しているが、商店街から見たら確かに『裏』である。
「意外とこの通り、土産屋ってないのよね」
帰りは商店街を通った方がよい、と梓は付け足した。
「どんだけ食べたの?」
満足そうな表情を見せる楓と美空が出てきたのは、案の定商店街の側からだった。
「食べてみよ」
ろろみも商店街出口付近で売られていた焼き牡蠣を、一つ頂戴した。
「梓さんは?」
「……珍しくないし」
焼き牡蠣よりは牡蠣フライの方が好きらしい。
しばらく歩くと、鳥居が間近に見えた。その前には、パネルがあった。
観光地によくある、記念写真撮影用のパネルである。つまり、ここが典型的な撮影ポイントである
「商売している人の邪魔にならなければ、ここで撮ろう」
ツアー客が来る様子はない。さっさと撮ることにした。
「なっ、何するんですか!?」
「ふっふっふ〜」
背後にいた天稀にフェイスロックをかけられたまま写真撮影となった、綾香であった。
なお、宮島では盆に花火大会が催されるが、梓は数年前、まさにこの場所から花火を見ている。
「満潮に近いから、水がすぐそこまで来てる」
厳島神社はその構造から、満潮の際には水の上に浮いているかのように見える。ちょうどその時間であった。
「なかなか、入る機会はないのよね」
地元でも、初詣には来ない。もっと近いところに行くらしい。船に乗るのがもったいないという理由らしいが。
「この辺、爛ちゃんが詳しそう」
名家、天津家の出身である爛。そのあたりのことは他の人よりも少々詳しいだろう。
「どうなの?」
「そんなに気にしてない」
意外と素っ気なかった。まあ、それを日常で意識することも、少ないのかもしれないが。
本殿正面。海をバックにするのはおきまりの構図であり、そこには人が列をなしていた。ろろみと梓も、その列に並ぶ。
「撮ってもらえますか?」
また、前の人から声をかけられた。できる人に見られるというのは、決して偶然ではないらしい。ここでも代わりに撮ってもらうことにした。
「IXY810IS……」
「見ただけでわかるの?」
梓も『見ただけでデジカメの機種がだいたいわかる』特技を持つらしい。
厳島神社の出口近くでは、猿回しが行われていた。
「日光とか高崎山が有名だけど、どっちでもないみたいだな」
だからといって、質が落ちるわけではない。
「これで飯を食べてくのも大変よ」
取り巻きが多かったせいもあるだろうが、予想外にカンパは集まっていた。
「で、ここから先は?」
「紅葉の季節だと大元公園に案内するんだけどね」
時間も限られているため、今日はここから戻っていくことになった。
千畳閣。豊臣秀吉が建立したが、完成を待たずして秀吉が死去したため、未完成となった入母屋造の大経堂である。なお、実際は千畳に満たない。
入館料を取っていたためか中には入らず、外から眺めるだけとなったが、吹きさらしに近い構造なので中がある程度見えてしまう。
「中の明らかに人工的な一角はなんだ?」
「さあ?」
その下を通り抜け、反対側へと出ようとした八人。その出口付近で……
ごぉん
「痛ぅぅぅ……」
天稀が頭をぶつけた。
「あれ? 中に『頭上注意』ってなかった?」
「あっても見えねぇ……」
外側にはあったが、内側にあったかどうかは、結局確認できなかった。
「こっからは自由行動、でいいんじゃないの?」
千畳閣から海沿いへと降りる階段で、梓がそう言った。
「お昼は?」
「船で宮島口に渡ってからなんだけど、あそこって予約を受け付けてくれないのよ」
つまり、並ぶ必要がある。お昼時をはずせば多少はましかと思った梓は、13時半をめどにしていた。この時間ならその後の行動もいろいろ考えられる。
「13時に桟橋、ってことでいい?」
「よし」
食い気満々の美空。まだ食べる気なのだろうか(笑)
「……入るんでしょ?」
自由行動でも、ろろみと梓は共に行動していた。
商店街を通っていたろろみの目に留まったのは、サンリオショップ。
「スルー、って言うと思う?」
ご当地キティの所有数は20を超える梓。入らないという選択肢はなかった。
「誰かにプレゼントしよっか?」
中でハンカチを見てみる。
「う〜ん、今日来ているメンバーのはないわね」
『はるちゃん』『れいちゃん』『さくらちゃん』『ほのかちゃん』……某メンバーのキャラクターがそろいもそろって用意されていた(笑)
「『こうちゃん』『ほのかちゃん』セットを沙織ちゃんにプレゼントってのはどう?」
もちろん、『こうちゃん』と沙織が同一人物だということは、二人の知るところではない。
約束していた13時に全員が桟橋へとそろい、直後の船で宮島口へと渡ることになった。
「『室内にあさりを持ち込むな』?」
春には神社の周辺で、潮干狩りが行える。室内を不必要に汚されたくないのか、そんな張り紙が客室ドアにはあった。
なお、梓は渡った後で、JR唯一の航路である宮島航路に乗れば良かった、と後悔していた。
「1時間ほどお待ちいただきますが、よろしいですか?」
待つしかない。
宮島口の駅からほど近いところにある、『うえの』。あなご飯ならここという話を聞き、梓が選んだのだが……待ち時間は予想を大幅に上回っていた。
「この間におみやげ買ってくるといいかも」
桟橋近くの店には、宮島土産が多数並んでいる。もみじ饅頭のお勧めを聞いた上で、楓と美空、梓を除く五人は、買い物に出かけた。
30分ほど待たされた後、店の二階へと通された。都合良く、八人分のテーブル席が空いていた。
後のこともあるので、早速注文する。梓のみ小サイズ、残りは通常サイズである。
「テーブルが広くて良かった。 はいこれ」
先ほど、厳島神社の鳥居をバックに撮影した写真を、梓が配布する。どこかのタイミングで配布できたらと思い、鞄の中にプリンタを忍ばせてきたのだ。『忍ばせる』というには。いささか大きすぎる代物だが。
「これ、いくらだったんです?」
「展示品限りで4,800円」
安すぎて長期保証が利かないが、『その値段だったら……』と思った人も、いるかもしれない。
「思ったほどタレがかかってなくて良かった」
素材の味を生かすように、作られている。「あなご飯ならここ」という評判を裏切ることはなかった。ちなみにこの店、店内で食べるだけでなく、弁当としてもあなご飯を提供している。
宮島口の駅へと入り、上りの列車を待つ。
「103系が来ないといいんだけど……」
座ろうとすると、全員横並びになってしまう。
「『トイレなし』とは書いてないから、大丈夫だとは思うんだけど」
10分ほど待たされた後で、リニューアルが行われた車両が、入線してきた。これなら向かい合って座れる。
横に並んで席を確保できた。早速PCを開き、TSカードゲームの素案を練る美空たち。その横では……
「なんか、食べるの惜しいね」
「そうかも」
先ほどのサンリオショップで購入した、キティちゃん顔のもみじ饅頭を眺める、ろろみと梓であった。
三十分足らずで、列車は広島駅へと到着した。
おみやげは先ほど宮島口でだいたい買ってしまっているので、出発1時間ほど前までは自由な行動ができる。
「どうする?」
どうする、とは、朝の新聞広告を見ての話である。
「行こっか」
結局、全員で行くこととなった。
「ぷっ」
横断歩道を渡っていた美空が、いきなり吹き出した。
「なに?」
「ちょっと、あれ見て……」
横断歩道を渡った先にある青果店。ガラスに貼られた広告には、こう書かれていた。
『新しい柑橘類 はるみ』
「ぶっ」
思わず吹き出す梓。店の人は何がなんだかわからなかっただろう(苦笑)
「たぶん、雄花と雌花が一緒になってると思う」
「そういえば、『ほのか』も苺の品種ね。 あの人、その辺を意識してるのかな」
「たぶん、してない……」
後に梓が聞いたところ、やはり意識はしていないようだった。
駅からベスト電器までは、歩いて10分ほど。
正面入り口から中へ入ると、すでに閉店準備が着々と進んでいた。
「何階?」
「私がよく行くのは、4階から上だけど」
とりあえず、6階から回ってみることにして、エレベーターに乗る。
6階は……真っ白だった(笑)
意味が分かりにくいので説明すると、すでに売るものがなくなっていたのか、エスカレーターの周りを除いて、白い幕で仕切られていた。
「仕方ないわね」
エスカレーターで、一つ下に降りる。5階には梓行きつけの中古ショップがあるが、この一角だけは大盛況だった(笑)
「安くなってるわね……何か買う?」
「だいたい、満足しちゃってるんだけど」
だいたいの商品が一割引になっているのだが、ここで梓が買い物をすることはなかった。
なお、後日談になるが、この店は1ヶ月もたたないうちに、広島市の中心部へと移転オープンした。旧店舗で売れ残っていた商品が新店舗でも並んでいたことを考えると、無理してその場で買わなくても良かったのかもしれない。
4階。テレビやレコーダーの類はまだ、かなり在庫が残っていた。
その傍らで、梓は一台のデジカメを手に、思索していた。以前からターゲットとしていた、一台である。価格は少々高いが、交渉次第でどうにかなる、と思っていた。
メールが入る。天稀からだった。
『機種変中です』
「はい?」
この店で予想外の動きをした天稀であった。
「すいませ〜ん」
横にいたろろみが、店員を呼びに行く。
「これ、いくらになります?」
「これが目一杯です」
梓は耳を疑った。
在庫はすべて売り切るつもりであろうに、交渉に乗ってくる気がまるでない。
少々押してみたが、よい反応が一切得られない。
「ここ、潰れても無理はないわ」
エスカレーターを降りながら、梓はろろみにそう漏らした。
1階まで降りると、天稀がカウンター前に座っていた。
「あれ? 買ってこなかったん?」
「……ちょっとね」
明らかに不満げな表情を浮かべていた梓に代わって、ろろみが状況を一言で説明する。
「……行く?」
「先に戻っておきますね」
ろろみと梓は、二人で広島駅へと向かった。
先に広島駅へと向かったのには、れっきとした理由があった。
『こだま663号』14時15分新大阪発、16時48分広島着。各駅停車。
この『663』という数字に、ろろみは人並み以上の思い入れがある。
そもそも、ろろみは『微風ろろみ』として、この世に生を受けたわけではない。元々はとある研究所で、『スプリット』という技術によって誕生した、『実験番号663号』という存在であった。
『ろろみ』という名前は、その番号からとったものである。
ゆえにこの数字には、思い入れがあるのだ。さらに言えば、日本中探しても、『663号』なんて名前の付く列車は、これぐらいしかない。
梓はそれを見つけ、ろろみを誘っていたのだ。ちなみに、この新幹線、もう一つ特徴がある。
「まもなく、12番線に、こだま663号が、6両で到着します…………」
構内アナウンスが流れる。
ろろみと梓は、すでに入場券を買い、ホームで待機していた。
「どうやったら失敗なく撮れる?」
さっと設定を変更する梓。渡されたデジカメの操作は、だいたいわかる。そのせいで、よく撮影を任されるのだが。
12番線に入線してきたのは、新幹線創業時の車両、0系であった。
ろろみの家の近くではすでに見ることができない車両であるが、ここ広島の地では、もうしばらくの間現役の予定である。
「撮れた?」
「これぐらい撮れれば十分かしら」
たまたま陽が差してきたため、シャッタースピードを十分に稼げた。
そのまま後方へと移動し、納得行くまでシャッターを切り続けるろろみであった。
新幹線を撮り終えたろろみが外へと出ようとすると、美空から連絡が入った。
「もう、戻ってきてるって」
しかし、ろろみは一度改札を出た後、東京までの乗車券で再度入乗じてくる必要がある。美空達を残し、一人で改札を出入りするろろみであった。
帰りの新幹線、のぞみ74号は広島発。美空、爛、沙織は自由席券しか買っていないため、全員そちらに乗ることにした。座れないということはまず考えられない。
それでも一番に並び、入線を待つ。その一方、楓達は新幹線の車内で食べる弁当を、下で購入していた。
隣のホームに、ろろみの視線がいく。
「あれって100系?」
「そうね」
カメラを持って駆け出すろろみ。見た目によらず、『鉄分』はけっこう濃いらしい。
程なくして、新幹線が入線してきた。
早速、横並びで席を確保する。
その様子を見送っていた梓であったが、
「あ、忘れてた」
窓越しにろろみを呼び出す。
「どうしたの?」
「プリクラ切るのを忘れてた」
昨日の夜、ホテルで撮ったプリクラ。
分けるために切ると言って、はさみを持ってきていたのだが、出すタイミングがこれまでなかった。
これを逃すと、ろろみが東京まで持ち帰ってしまうので、慌てたともいう。
17時40分。のぞみ74号が広島駅を出発しようとする、その直前。
機種変更したばかりの天稀の携帯に、メールが入る。見ると、梓からであった。
そこには、『帰るまでが旅行です』という、一文が残されていた。
してやったりという顔をしたまま、手を振って見送る梓。
新幹線はこうして、広島駅を出発した。
「…………ふぅ」
340枚の画像を見ながら、梓は思い悩んでいた。
「これ整理するの、結構大変よね…………」