モノクロ/ネタ
書いては戻り、書いては戻り。いつまでたっても発表できないストーリー。 †
「どう?」
「……逃げられた」
ドレスに身を包んだ女性の問いに、スーツ姿の男は短く答えた。
「むぅ…………解析も終わってないというのに」
タンクトップ姿の別の男が、話に割り込んでくる。彼ら彼女らは、一つの”もの”を追う存在であった。
「最低限必要な部分は、終えてある。 今後を不安がる必要はない」
スーツ姿の男は、平静を崩さぬまま、続ける。
「だが、それを盤石にするには、取り戻した方がよい」
「…………行くのね」
首は振らなくとも、答えが”Yes”であることは、その態度で読み取ることができた。
「奴が一番安全に逃げられる場所がどこか。 それは分かっている」
テーブルの上にあったダーツ。一本を手に取る。
「長居はできぬが、奴から『アンリーシュ』を奪い返すには十分だ」
壁に掛けられたボードの中央に、ダーツが突き立つ。
「…………裏切り者は、それなりの報いを受ける必要がある」
…………………………
一人の少年が、河原の芝生に、腰を下ろしていた。
「…………ろくでもないことに使われるのは、ごめんだ」
手に握られた”それ”に視線を落とし、呟く。
「この世界なら、簡単には追えないだろう。 これを持っている限り、俺は問題ないだろうし」
持っているか、持っていないか。その差は大きいものであった。
「ただ、人に紛れる必要はあるな…………」
少年は立ち上がり、歩き出した。春の朝日が、芝生に少年の影を作った。
…………………………
少女は、身の丈に近い高さを持つ草に、囲まれていた。ここは少女の住む世界と同様、緑に覆われていた。
「……まず、探さなきゃ…………って、なんだろあれ」
膝上ぐらいの丈がある、白い球体。表面にくぼみが付けられている。
「誰か、来るっ」
慌てて身を隠そうとするが、逃げようとした少女に、何かがぶつかる。
「きゃっ!」
「…………何かありましたか?」
「何か、足にぶつかったような気がしますが……気にせずいきましょう」
「ててて…………」
少女はその一件で、派手にすっ飛ばされた。
「どうも、私って見えてないみたい…………」
軽い風が少女を取り巻き、その身体を宙に誘う。
「ここの住人って、こんなに大きいんだ…………」
彼ら彼女らの身の丈は、少女の身の丈の十倍ほどもあった。
少女にぶつかった彼が手にしていた、金属の棒らしきもの。それは特有の音と共に、球体を彼方へと飛ばす。旗らしきものの立てられた芝生の地面に、それは落ちる。
「ナイスアプローチ」
同行者は手を叩き合わせる。表情を見る限り、彼はどうも良いことをしたらしい。
ぶつかっといて、なによ。少女はそう思いつつ、その場を後にした。
自分の現れた場所を、宙から眺める。
緑の芝生、森、砂地、池。もしかするとこの世界は、自分のいる世界よりも、自然が豊かなのかもしれない。
…………少女がその感想を訂正するまでには、一分もかからなかったが。
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(chapter1)
作:ほたる
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「どうだった?」
「別に。 同じところ通うんだから」
彼女の通う学校は、中高一貫校である。中学の卒業式が形式的な物、親族が同席しない物になるのも、致し方ないのかもしれない。
「三年後は、行かなければならないわね」
「そんな先のことまで考えなくていい」
母親よりも、卒業した本人の方が冷めていた。
「出かけてくるわ」
どこへと母親は聞かなかった。ふらふらと出かけてくるのはいつもの行動であるし、その行き先もだいたい分かっていたからだ。
母親の横の扉を鍵で開けると、二人の住む家へとつながる。少女はその向こうに消えていった。
「…………志穂さんの娘さんって、あんなでしたっけ?」
昔の常連客……単身赴任していたので来るのは二年か三年ぶり……が、その様子を怪訝そうに見つめる。
「反抗期かしら…………ま、いいけど」
カウンターを挟んだところで、母親……志穂は呟き、再び手を動かし始めた。
能良(のうら)市。駅前からまっすぐに伸びる商店街は、郊外に大型ショッピングセンターが開店した今もなお、活況を失わず昔と変わらない時を刻む。その商店街の端に、一件の喫茶店があった。
『マーブル』。美味しい紅茶とスイーツを出してくれることで、地元では評判である。そしてその店のマスターが、これまた美貌の持ち主で評判である。
栗原志穂(くりはら・しほ)。『マーブル』のマスターであり、一児の母でもある。
家を出た少女が家を出て数分歩くと、行きつけの店へと到着した。何の変哲もない一軒のコンビニである。
「栗原、お前もかよ」
「…………暇だから」
本を立ち読みしていた少年が、梓に気づいて声をかける。梓は一言で返事をし、その横に並んで別の本を立ち読みし始めた。
栗原梓(くりはら・あずさ)。志穂の一人娘である中学生。来月からは高校生となる。
一般的に立ち読みという行為は、コンビニだけでなく専業の本屋においても、好まれる行為ではない。
しかしこのコンビニは経営者の計らいにより、ある程度の本は自由に立ち読みできるようになっている。それどころか、店内にはドリンクバーも用意され、椅子に座ってゆっくり読むことさえもできる。
経営者曰く、人が入っていればそれにつられて客が来る、ということらしい。空いているファミレスに入った時、窓際の席に案内されるのと同じ論理である。
梓が読んでいるのはファッション雑誌。年頃の少女としては、決しておかしくない。
しかし積まれた本の中には、パソコン関連の雑誌が混ざっていた。梓の趣味を反映したものではあるが、こちらは少々ミスマッチである。
「買うだけの金があるのか? そりゃちょっとは安くなると思うけど……」
先ほどの少年がテーブルを挟んで反対側に座り、雑誌の記事をのぞき込んで聞く。
「アウトレットが出てきたら教えて」
「個人経営の電器屋でそれはないだろ……」
少年……岩隈哲也(いわくま・てつや)は、少々呆れた声で呟く。彼の実家は看板こそ大手家電量販店のそれではあるが、実態は祖父の代からの『街の電器屋』である。ネットブックのアウトレットがそこに出てくるとは思えない。
梓の思考だからまあ仕方ないかと、哲也は結論づける。口には出さないが。
1時間ほどでコンビニを後にした梓は、その成果をもって次の店へと向かう。
「もう、春物処分に入ってるのね」
店先の看板には、セールの知らせが記されていた。
行きつけのリサイクルショップ。お目当てはもちろん衣料。パソコンなどと高価な物は、この店には置いていない。時たま入荷してくるが。
「シーズン遅れ…………着回しでどうにでもなるけど」
このような店に、流行の最先端をゆくものが入荷してくる可能性は低い。サイズが合わなかったという例外を除けば。
梓の体型はごくごく平均的なものなだけに、物理的に着られる物はかなりの数が在庫でそろっているのだが。
駄目ね。また今度。
梓は口の中でそう言い、店を後にした。
外出の用件は、思ったより早く済んだ。しかし他に、行く場所もない。
昼から店を手伝おうかと思いながら、梓は護岸工事で歩きやすくなった川辺を歩いていた。『マーブル』にまっすぐ帰るには、ここを通るのが最短である。
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梓が外出していた、その間。
少女は自分の探すべき場所を、見つけていた。
「この中に、探す人がいる」
人の出入りに紛れ、中へと入る。そのまま、適当な場所を見かけ、腰掛ける。
彼女の姿は、見えていないようだ。テーブルの用意されていない窓際に腰掛けた彼女が、その存在に気づかれることはなかった。
彼女の探す『ターゲット』は、目の前にいる。忙しそうにしていた。まだ急を要する事態ではないし、時間を要する話でもあるし、少々待っても良さそうだ。
空いた時間で、出入りする者の様子を、確認する。どうやら『ターゲット』は、この店を経営しているらしい。
「あなた、なぜここにいるのかしら」
『ターゲット』の方から、声をかけてきた。予想通りであるが、自分の姿が見えているらしい。
「『シフォン』さんと、お見受けしましたが」
声をかけられた女性…………志穂は、その呼び名に昔の自分を思い出した。
「……いかにも。 そちらの名前は?」
「『スフレ』」
ちょうど、昼過ぎの休憩時間に入る。平常であれば、志穂の休憩時間は30分ほどである。店から家の方へと出て、リビングでスフレと向き合う。
「で、どうしてこちらへ来たのかしら」
何の理由もなしに、スフレが姿を現すことなどない。志穂はそう思っていた。
「あなた…………いえ、あなたの娘さんの監視ですね」
「梓の……そういうことね」
娘である梓に”監視”が必要な理由。自分と梓の身の上に起因するその理由は、志穂にも分かっていた。
「監視が必要な状態になるには、きっかけが存在する。 それが何か、確証は得てる?」
志穂の指摘に、スフレは少し間を置いて答えた。
「あなたにこれを言うのは酷かもしれませんが…………」
この店の経営で、それなりに世間の荒波には揉まれている。何を言われてもとまではいかないにせよ、たいていのことは受け止められる。志穂はスフレに、話を続けるように促した。
「あなたたちが壊滅させたはずの存在……『ネヴィード』が、復活しつつあります」
「え!?」
過去に自分と、深く関わりを持った存在。その名に、志穂は驚いた。
「そして今回は、この世界に来ようとしています。 娘さん……梓さんが『ネヴィード』の持つ魔力とふれあったとき、何が起きるのかは、想像がつきません」
「…………最悪の場合、わたしたちの敵に回る、という事ね」
もっとも避けたい事態。志穂とスフレは、その認識を共有した。
「こちらで先に、手を打っておく必要があります。 梓さんはどこです?」
「出かけてるわ」
その時。志穂とスフレは同時に、同じ気配を感じた。
「行くのね」
「それが”責務”です」
スフレは窓から、外へと飛び出していった。
…………………………
同じ中学校の卒業式でも、中高一貫校のそれと他のそれとでは、多少なりとも意味合いが違う。そしてその意味合いの違いは、卒業式の実施される日取りの違いとしても、現れてくる。
つまり、すでに卒業式を迎えている中学生は、数多いということになる。彼ら彼女らにとって、宿題のない長期休暇というのは、貴重なことこの上ない。
…………そんな貴重な休日を、ぼんやりと過ごしている存在がいた。
前田翼(まえだ・つばさ)。中学を卒業したばかりの男子である。
彼は部屋の窓から、能良の街を見下ろしていた。彼の家があるのは、12階建てマンションの8階。ゆえに眺望は良好である。
ベランダへと出てみる。角部屋であるがため、部屋の中と違い横方向の眺望も開ける。マンションの近くを流れる細い川は、翼の視線の先にある海へと注いでいる。
翼の姿は一見、物思いにふける年頃の女子にも見えた。事実翼は、中学に入ってから急に、女子と勘違いされることが多くなった。周囲の男子が少年から青年へと変わりつつあるこの時期においてもなお、翼の姿は小学生の頃とほとんど変わらなかったからだ。幸いなことに、中学が共学であったがため、学校行事において女子の扱いをされることはなかったが、目立った声変わりもない翼は、男子校であれば間違いなく女子役を任されていたであろう。
「ふぅ」
向きを変え、再び街を見下ろす。
――そういえば、言ってなかったな。
翼が通うこととなる、高校。それがどこであるかを、報告したい相手がいる。
どこに行けば会えるかは、分かっている。翼は玄関から、外へ出ようとした。
「どこ行くの」
「梓のとこ」
梓と翼は、小学校入学以前からの幼なじみである。しかし、中学受験は二人で明暗を分けたため、三年間を違う学校で送ることとなった。
そして、高校受験。能良一の名門校である西風学園高校を受験し、見事合格した翼は、三年ぶりに梓と同じ学校へ通う予定となっていた。
エレベーターを使っても良い高さなのだが、あえて階段で下りる。運動も兼ねている。
マンションのエントランスから出て、裏の自転車置き場へ行く。鍵を外し、乗ろうとした、その時。
――梓? で、あの人は?
彼の幼なじみは、一人の男と向き合っていた。
…………………………
「あなた…………誰?」
梓に面識はなかった。なぜ自分の名前を知っているのか、まずはそれが気になった。
「おや、何も聞かされていないのですか。 『シフォン』の娘さんだというのに」
「誰よ、それ。 人に物事を尋ねるなら、まず自分から名乗りなさいよ」
かみ合わない会話。梓は再び、名乗るように求めた。
「…………名乗る必要はないです。 そのうち分かりますから」
「なら、あなたに付き合う必要もない」
梓は振り向いて、脱兎のごとく賭けだした。身体能力には、ある程度の自信がある。この先には、自分が頼れる存在もいる。
「梓っ! いったいなにが」
「逃げてっ!」
幸いなことに、その存在は自分のマンションから、自転車を出してきていた。
後ろにまたがる梓。 ただ事でない事態が起きていることを感じた翼は、そのまま自転車を走らせようとした。しかし。
「逃げられるとでも思いましたか?」
自転車の目の前には、先ほどの男が立っていた。明らかに、常人のスピードではなかった。
「知り合いか、何かですか?」
丁寧な口調の裏に、翼は恐怖を感じた。
「……梓に手出ししないと約束できるなら、話しても構わないですけど」
「そういう相手じゃない!」
梓と男にだけ、聞こえた声。次の瞬間、周囲から人の気配が消えた。
「くそ…………『アンリーシュ』か!」
何それ。翼と梓が同じ疑念を抱いた、次の瞬間…………
「きゃっ!」
梓は後ろから掴まれるかの感触を覚え……いや、後ろから掴まれ、翼の元から引きはがされた。
「何をする気よ!」
「『シフォン』に消された存在が、その娘を利用する……復讐としてはこれ以上ないではないか」
梓の背中に、男は掌を突き立てる。その場に、禍々しい気配が漂う。
「梓……っ!」
「……あの人を、助けたいですか?」
翼の肩に乗ったのは、小さな少女。
その顔に見覚えはなかったが、姿は翼の知識にある、”妖精”に限りなく似ていた。
「助けるも何も……」
「まあ、私たちにとっても好ましくはないです。 手伝ってください」
誰かは知らないが、梓を放っておく理由はない。
「嫌な気配を感じます。 手遅れに、ならないうちに」
少女の向こうで、梓がゆらりと顔を上げる。その顔からは、生気が失われていた。
ただ事でない事態が、起きつつある。翼はこくりと頷いた。
首の周りを何かが取り巻き、わずかな重みがかかる。
「『Unleash』!」
少女の声と共に、翼の身体を光が取り巻いた。
「な…………なに、これ…………」
服がふわりと波打ち、柔らかく変わっていく。その下にあった翼の身体も、共に変わっていく。
一回り小さくなる身体。服の隙間から覗く手足、そして首が細くなり、全身が柔らかいラインで縁取られていく。
少々幼くなった表情。睫毛が伸び、細くなった眉は柔らかなカーブを描く。
髪の色が明るくなり、うなじや頬を隠していく。肌が白く変わっていく。
纏う服が、その色を変える。緑のTシャツとグレーのイージーパンツが、ともに紅へ染まり、融合していく。
袖と裾が短くなるとともに、全体的にタイトなものとなり、柔らかな身体のラインが露わになってくる。
「ん……ん、あっ」
全身をきゅんとした感覚が通り抜けるとともに、変化した服の胸元に、リボンが現れる。
「な、何が起きたの?」
翼は自身に起きた”変化”に、戸惑った。
風になびく髪。太股を擦れる服の裾。さらにいえば、自分の声そのものにも。
”もっとも違和感を抱く部分”に、手が伸びる。
……『あるべきもの』が、そこにはなかった。
「え? な、なんで僕が!?」
「前っ!」
目の前に迫る梓。回避の動きを反射的に取ったが、間に合わないだろう。翼は覚悟したが……
「…………え!?」
先ほど自分がいた場所から相当離れた場所に、翼は着地していた。
「どういうこと!?」
「身体能力は上がっているはずです!」
「それは分かる! こっからどうすれば!?」
自分は梓を止めるために、見知らぬこの少女に力を貸すことを決めた。
まずは、それを果たしたい。ついでにいえば、長時間この身体のまま居続けるのも、あまり気が進まない。
「動きを封じてください!」
だが、その指示は翼の耳に、完全な形で入ることはなかった。
「くっ!」
なんのことはない。梓の攻撃を回避するので、精一杯だったからである。
「梓っ! これ以上やめろっ!」
対する返事は、なかった。自分の声も届いていないのか。翼は少々の絶望感を抱いた。
(もっと……もっと早く言ってくれれば……!)
こんな不毛な争いは、回避できたのかもしれない。しかし、もはや遅い。
「うあっ!」
何度目かの攻撃がクリーンヒットし、吹き飛ばされる翼。
近寄れば拳や蹴り、あるいは投げが、離れれば翼の知識にある”魔法”らしきものが飛んでくる。
翼はいずれについても、梓に劣る。うすうすながら、それは自覚しつつあった。そして、それは翼の肩に乗る、少女の側にも。
「ステッキ、発生させてください!」
一瞬、”ステッキを持った自分”を想像してしまう。似合いすぎている、あまりにも似合いすぎているのだが……恥ずかしくなってしまう。でも、それをああだこうだ言う暇はない。
「どうやって!?」
「『アンリーシュ』に手をやってください!」
聞き覚えのない言葉だが、何を指すのかは分かった。自分がこうなる直前に、首にかけられたもの。指すとすればそれだろう。
翼は迷うことなく、ペンダント状になっているそれに手をやった。掌に、白い光が纏い、姿が変わる。
「これっ!」
その瞬間、白い光が弾け、中からグレーのステッキが現れる。
”魔法のステッキ”にしては、色気がない。翼はそう思ったが…………疑問は後回しにする。
ステッキを手放させようと、より攻撃が激しくなる梓。回避に徹する翼はその様子を見て、ただものではない能力がステッキに秘められていることを感じる。
梓の魔法を、打ち消す。その過程で翼は、ステッキの能力にある程度のめどが立った。
(これなら…………)
すでに気づいていた、梓の特徴。それを生かし、背後に回り込んで動きを止める。後は……少女に任せればよい。
「はぁぁっ!」
ステッキに、力を込める。黄金色に、それは輝く。
「いっけぇぇっ!」
金の鳥をかたどったそれは、梓の元へまっすぐ突き進む。そして…………止められる。だが。
「もらった!」
梓の背後に回り込んだ翼。腕を絡め、羽交い締めの状態にする。
飛んできた魔法について、梓は100%の確率で、魔法を用いて打ち消す。翼はそれが分かっていたからこそ、その隙を突いたのだった。
「これ以上、やめろっ!」
絶好の態勢。落ち着くまで待てばいい。翼はそう思った。そしてその思いは、少女……スフレも同様であった。
「お手伝い、ありがとうございます!」
翼の持つアイテム……『アンリーシュ』。この力を用い、梓の能力を封印すればよい。スフレは動こうとした……が。
目もくらむような強い光が、二人を包んだ。
「うっ!」
少し離れていたスフレも、その輝きに思わず目を覆ってしまう。
数瞬の後にスフレが見たものは、気を失いその場に倒れた、二人の姿であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
河川敷の駐車場に、紺色の車が止まる。
何の変哲もない、小型の4ドアセダン。しかし、後方に見える2本の排気管と、上部にある『GT』のエンブレムは、それがただものでないことを示していた。
中から、一人の女性が降り立つ。志穂であった。
――気配が現れ、そして消えたのは、この辺り。
離れていたところで感じていた、”気配”。その正体を探るため、ここへ直行してきた。
先ほどは、それを“責務”というスフレに、探らせた。しかし、妙な胸騒ぎがした。
放っておくのは、あまりにも危険すぎる。今の自分にそれを止めることはできないにしろ、何が起きているのかぐらいは把握しておきたい。
――その一つは、わたしとよく似ているのだから……
河川敷の法面、何もないところに、二人の少女が倒れている。寝かされているようだ。
「梓っ!」
志穂は駆け下り、その場へと向かう。
「……スフレ、何があったのよ!」
その二人の間にいた、小さな存在…………スフレに、志穂は現状の説明を求めた。遠くにいた自分よりも、眼前で見ていたスフレの方が、この場で何が起きたかを的確に把握しているであろうからだ。
スフレが梓と出会う直前に、梓は『ネヴィード』の存在と出会ってしまっていたこと。
梓は逃げようとして、近くの建物から出てきた少年の乗り物に乗ったこと。
とりあえず『アンリーシュ』の力を発動させ、三人をこの世界から隔離したこと。
しかしその隙を突かれ、梓が『ネヴィード』の手に渡り、“能力”を引き出されてしまったこと。
そして…………梓を止めるために力を与えた少年は、梓と共に強い光に包まれ、気を失ったこと。
志穂は茶々を入れることなく、その話を一通り聞いた後、スフレに問うた。
「梓とこの子に何が起きたか。 それは分かる?」
「分かりません。 一つだけ確実に言えるのは、この人が梓さんを止めてくれたということですが」
横で眠る少年の顔を、のぞき込む。そこから感じられたのは…………微妙な既視感。しかし、それはこの場で調べなくともよい。
「……後は戻ってから聞くわ」
二人と自転車をまとめて運ぶ程度の能力は、スフレにもある。しかしこの場でそれを行うと、人が気を失ったままひとりでに運ばれているように見え、あまりにも奇妙である。
志穂は車とその場を一往復半し、二人を車に乗せた。
「この自転車は……?」
「手を貸してくれた少年が、乗っていたものです」
フロントフェンダーに貼られた、住所と名前。それを見て……志穂は驚いた。
「前田君!? あの子が!?」
…………………………
『マーブル』……と一続きになっている、栗原家。
リビングの横にある和室で、梓は目を覚ました。
「起きた?」
「母さん…………つっ!」
「下手に動かないで。 たぶん、身体に相当な負荷がかかっていたはずだから」
身体に走る激痛。起き上がれない。梓は身体を起こすことなく、志穂に問うた。
「私に…………何が起きたの?」
「酷かもしれませんが、全てお話ししておかないと」
代わりに答えたのは、スフレだった
「スフレが一番知っているはずだから、お願いするわ」
スフレは先ほど志穂に話したことのうち、梓の記憶にない部分についてのみ、彼女に伝えた。その話が進むたびに、梓の顔は青ざめていった。
「翼は……っ!」
痛みは相変わらずだ。
「外傷はないわ。 ただ、眠っているだけだと思う」
頭を横に向け、隣に寝かされている翼の寝姿を、じっと見る。そして気づく。
「翼は…………まだ女のままなのね」
こくりと、スフレが頷く。
「バカ……こんなになるまで、必死にならなくても…………」
「それでも前田君が止めなかったら、梓はもっと多くの人を傷つけていたかもしれない。 一人でかぶってくれた前田君に、感謝する必要はあると思うわ」
わずかの後、床に伏したままの梓の横で、翼が起き上がる。
「翼……あんた、どうもなってないの……?」
しかし次の瞬間、事態は三人が思っていたよりもさらに深刻であることが、翼の一言で判明した。
「梓ちゃん…………あたし、どうなっちゃってるの…………?」
…………………………
「前田君へ作用した魔力は、身体と精神に影響を及ぼしてるみたいね。 姿が全く変わったり、記憶が操作されたりということがなかっただけでも、幸いと思わないといけないのかも……」
志穂の出した結論。翼をそこまで変えてしまった梓の魔力は、あまりにも大きすぎるということ。
何とかして抑えないと、翼だけでなく他の人にも、下手するとこの世界にも、危害が及んでしまう。
「とにかく、急を要しますね。 とりあえずは、これを預けておきます」
スフレはそう言うと、先ほどは翼に渡した『アンリーシュ』を、志穂に渡した。
「これは、梓さんに持たせてください。 仮対応ですが、まあ現状でできる最善策かと」
この程度の能力では、梓にとっては明らかに”力不足”だ。本来梓が持つべきものは、他に心当たりがある。
しかし、現状では持っておかないより、持っておく方がよい。志穂はそれを理解できていた。
「見た目と言動は一致するけど、中身と言動が一致しないわ」
怪訝な目で、翼を見つめる梓。
「直せないの?」
「……こうしている方が自然に思えるの。 …………気になる?」
「ずっと、そのままでいてほしくはない」
「それはあたしも…………」
どうやら、元に戻りたいという意志はあるようだ。志穂とスフレは、その言葉でわずかながら安心した。
「とにかく、梓が無事で……よかった」
「無事じゃないけど」
身体の痛みは、相変わらず残って…………
「……全然、痛くない……」
梓は気づいた。いつの間にか、痛みが引いていることに。
「何か、した?」
「あたしは何も…………」
翼にその意識はなかった。とすると…………
志穂とスフレ、二人の方を向く梓。二人とも、首を横に振る。
「…………翼さん、多分それです」
「え?」
翼は梓の手を、握っていた。
「詳しいことは分かりませんが、梓さんが自身でやっていないとなると……それぐらいしか考えられないですね」
この姿になった翼については、未知の部分がまだ多い。とりあえず、そう結論づけることにした。
…………………………
外見が年齢相応の女子であることは別として、翼の身体については未知の部分が多い。
しかし、それでもこの世界で、生きていく必要はある。
「どうやら、男子のままのようね」
『前田翼』という存在は、どう認識されているのか。男子のままなのか、女子になっているのか。
小学校の卒業アルバム。翼と梓が同じ小学校に通っていたが故に、同じ物を二人は所有している。
顔写真の並びは男女混合のため、参考にならない。その他のところで確認すると…………明らかに男子の服装であった。
「さて、周囲の認識は変わっていないとして…………」
「話したところで、この世界でこれほど急な性転換が起こりえない以上、すぐに信じてもらうのは難しいでしょう」
「スフレの世界でも起きないでしょうに」
「まあ…………」
事実、スフレのいる世界……それは志穂(シフォン)のいた世界でもある……でも、滅多に起きない事態である。
翼はその情報を元に考え、決意した。立ち上がった。
「どうする気よ」
「まず、家に帰ってみる」
「気が早すぎるわ」
梓の指摘はもっともであるが、翼は部屋の外に顔を向けて言った。
「可能性が少しでもあるなら、それに賭ける。 あたしが、元に戻ることにもね」
「…………………………」
「ついて、行きましょうか」
志穂の声に促されるように、梓も腰を上げた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『マーブル』から翼の家までは、歩いても10分ほど。十分に徒歩圏内である。
一刻を争った先ほどとは違い、三人と一人は歩いて向かうこととなった。
「ひかりさんって、どうなのよ」
「う〜ん…………ファンタジー好きだから、なんとかなるんじゃない?」
「現実と空想をごちゃまぜにしないで」
「魔力は一般に、空想の世界の話だと思うけど」
並んで歩く、翼と梓。二人の後を、志穂とスフレが追う。
(……勝算、あります?)
(勝算…………99%。 前田君が腹をくくっているのなら大丈夫)
スフレの姿は、周りにはどうやら見えないらしい。過去の自分がそうだったのだから、そう推測するのが正しいだろう。
見えない存在と会話すると、怪しい人だと思われる。スフレと志穂は、小声で話していた。志穂の自信はどこから来るのか、と思いながら。
…………………………
翼が家に帰ったところで、父親はいない。彼の職場は、1万キロ以上も離れた場所にあるからだ。
「おかえり」
つまり、帰って最初に声をかけてくるのは、母親となる。
前田ひかり。翼の母親である。前田家と栗原家とは、翼や梓が小学校に入る前の頃から、家族ぐるみで付き合いがあった。
「珍しいですね。 志穂さんが来るなんて」
「おじゃまします」
靴を揃えて上がろうとする三人。その一人の様子がおかしいことに、ひかりは気づいた。
「翼…………その髪、どうしたの?」
すでに気づかれていた。とはいえ、倍以上に伸びていたので、気づかない方がおかしい。
翼と梓は顔を見合わせた後、奥にあったリビング……代わりの和室へと入った。さっさと話すしかない、と思いながら。
「そう、ですか…………」
前田家の台所。夕食の片付けを手伝いながら、志穂は事の経緯をひかりに説明した。
「梓の話を聞く限り、昔に私が対峙した存在と、似たような相手だったみたいですが…………」
志穂の話の内容を、ひかりは理解できていた。それは彼女が過去に聞いた話と、関連性を持つゆえであった。
話は、二十数年前にさかのぼる。
――――――――――――――――――――
この能良市にやってきた志穂。程度の差はあるが、余所者が地域のコミュニティに入るのには、ある程度の努力が必要となる。
志穂もむろん、それは行ってきた。しかし、その生まれに起因するハンディは、あまりにも大きすぎた。
孤立する志穂を見かねて、近寄ってきた女性。それがひかりであった。
「わたしだけでどうにかする。 人の手は借りたくない」
「一人じゃ無理なことって、あると思う」
志穂は常に、”一人”だった。長い間、一人でどうにかなっていた。
この世界でも、一人で生きていける。そう思っていたが…………崩れ去ろうとしていた。
「頼れる存在がいる。 手本にすべき存在がいる。 この世界、そういうものだと思う」
”この世界”。もしかすると、ひかりには自分の正体が、何となくでもわかっているのかもしれない。志穂は感じた。
「志穂に何かあったら、私が守る。 理不尽なことは嫌いだから」
本気で来られたら、守れるはずなどない。しかし、その気持ちだけでも、志穂にはうれしかった。
「…………ちょっと、いい?」
「何が? 話したいことがあるんだったら…………」
「できれば、個室を用意して欲しいわ」
「車の中で良かったら、すぐにでも」
志穂はその中で、自分の生まれについて話した。
ひかりは驚きはしたが、それでもその現実を受け止めていた。
自分の弱みを見せても良い、信じられる存在。そんな存在に、この世界で初めて出会った。
――――――――――――――――――――
過去に聞かされた、志穂の持つ事情。
ゆえに、志穂の娘である梓が魔法を使えることは、ひかりにも何となく想像がついた。
「これ……『マーブル』と同じ」
「志穂さんにもらったのよ」
普段はティーバッグで入れる紅茶。しかし今日に限っては、明らかにそれと違う香りが漂った。
「話は志穂さんから一通り聞いたわ。 翼には何の落ち度もないし、むしろ良いことをしたと思っているわ。 でも…………」
言葉はなかった。ひかりは言葉を続ける。
「少なくとも、翼が女の子になっていることは事実なのだから、そこの責任は、ちゃんとしてもらいたいですね」
言われなくとも。梓はそう思ったが、口に出すことはなかった。
「それは……十二分に分かっています」
志穂が頭を下げる、つられて梓も下げる。
「……そういう趣味だったんだ」
「はるか、あなたどこから聞いてたの」
翼の妹、前田はるか。この部屋の横で盗み聞きしていたらしい。
「ほ、ほらっ! 説明前にはるかに聞かれちゃったじゃない!」
「ちゃんと説明は聞いてたよ、”お姉ちゃん”」
激しく落ち込む翼。無理もなかった。
「他言無用よ」
いわれのない誹謗中傷が来る。ひかりははるかに、そう釘を刺した。
「ただ、この子が自分を”前田翼”だと認識してくれていなければ、さらに問題は根深くなっていたでしょう」
「……それでも、”翼”は私にとって、男の子の名前ですから……」
ひかりは横にあった広告の裏紙に名前を書き、翼の前に差し出した。
「…………やっぱり、この名前」
『命名 前田のぞみ』
翼が産声を上げるまで、男の子か女の子か判別ができなかった。ゆえにひかりは、どちらに転んでもいいように、男の子と女の子の両方の名前を考えていた。…………もっとも、『翼』は女の子でも、さほど違和感がないのかもしれないが。
そして『のぞみ』は、十五年の時を経て再利用された、女の子の名前であった。
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用件が終われば、そこまで長居する必要はない。夜も遅いし、『マーブル』は明日も営業である。志穂と梓は、そそくさと前田家を後にした。
「お風呂は」
「まだ、入ってないよ」
「疲れたでしょう? 入ってきたら」
身体は変化したが、服は全く変化していない。背丈が変わらなかったためか、特にどこがきついとかゆるいとか、そういうことは感じなかったのだが、なんとなく落ち着かない。
女物だと落ち着くのかな。そう思って、さらに隣にいたはるかに、聞いてみた。
「…………下着貸して」
「上はいらないよね、それじゃ」
”上”の意味を少し考えたのぞみは、赤面した。
一応、脱衣場で確認してみる。
「胸、なさすぎ…………」
真っ平らとはいわない。しかし、それに近い状態であった。この姿になってから今まで、下着を含めてメンズの服を着たままでいたにもかかわらず、胸がまるで痛くならなかったことが、その証拠でもあった。
「せめて、はるかには負けたくないなぁ…………」
つい先ほどまで男子だった者の感想としては少々違和感があるが、それが率直な感想であった。ちなみにはるかはのぞみの2歳下であるが、身長も胸の大きさものぞみ以上である。
「絶対『ずん胴』ってからかわれちゃいそう……」
胸だけではない。くびれもほとんど無く、お尻が大きいわけでもない。ついでに言えば足も太い。決して太っているわけではないので、のぞみには『幼児体型』という言葉があまりにも相応しかった。
桶で湯船の湯をくみ、身体にかける。昨日までより肌が敏感になっていることは、それだけで感じられた。
こういうところは女の子なのかな、とか思いながら、身体を洗う。胸の辺りにタオルが当たると、触られているという感触だけは伝わってくる。
このままずっとこの身体でいると、大きくなるのかな。のぞみはそんなことを思った後、自分の置かれた立場を思い出す。
――でも、どうせいつかは戻るんだし。戻してくれると思ってるし。
湯船につかる。あまり普段と変わった感じはしない。そもそも、『あるべきものがなくて、ないはずのものがある』のだから、そうは思わないのが普通なのだろうが、その例外に当てはまってしまったらしい。
まあ、のぞみの場合、『あるべきものがなくて、ないはずのものはそのままない』のだが。
風呂から出る。パジャマも入れ替えられていた。先ほど二階、そして脱衣場で誰かがごそごそしていたのは、これを探すためか。
とりあえず着てみる。新しいパジャマなんて何年ぶりかな、と思いながら。着た後で、自分の姿を鏡に映す。それは違和感なく、”女の子”に見えた。
…………………………
一方、『マーブル』。
閉店後の後片付けを手伝っていた梓。その横に立つ志穂。
「前田君……のぞみちゃんに違和感がないということは、かなり深いところまで姿に見合ったように変えられているということ」
志穂は過去の事例を元に、話し始めた。
「それが…………何を意味しているの」
「つまり、魔力の影響を相当強く受けている。 あくまで可能性だけど……魔力を行使できる可能性は高い。 しかし、のぞみちゃん自身からは魔力を感じない」
閉店時に余っていた紅茶。一口つけて、話を続ける。
「魔力を供給してくれる存在があれば、のぞみちゃんはかなり強力な戦力になりうる。 それが味方であれ、敵であれね」
「翼が…………そうなりうる」
”のぞみ”という名が付けられ、自身がその名で振る舞っていてもなお、梓は彼女を”翼”と呼ぶようにしていた。自分が何とかしなければならない存在だからだった。
「梓と出会った存在が、のぞみちゃんの能力に気づいたら…………」
言葉の続きは、梓にも分かった。そのきっかけを作ったのは、自分。責任は、取らなければならない。
「私に…………何かできることは、ある?」
「あるわ。 過去に、私のやっていたことだけど」
止まっていた時計の針は、再び動き出した。
進んだ先に何があるか、誰も想像することができないままに。
(このストーリーはフィクションです。実在の人物、団体、地名などとは、一切関係ありません。)